干支「辛丑」で2021年の変化を大予測!丑年の相場格言は「つまずき」で経済的には下落?の画像1
ホルスタイン(「Wikipedia」より)

 謹賀新年。

 今年は丑年、十二支の2番目に当たる。この「丑」とはウシを指すが、もともとは手指に固く力を入れてひねる様子をかたどった象形文字であり、芽が種子の中に生じて、まだ伸びることができない状態を表したとも言われている。相場格言に「丑はつまずき」とあり、経済的には下落の1年となるかもしれないとの声も聞くところである。

 また、今年の干支は「辛丑」となる。本来、「干支」とは「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の十干と「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の十二支を組み合わせたものである。同じ「干支」は60年に一度めぐってくることになり、60歳を「還暦」と称するのは、生まれた干支が再びめぐってくるためである。

新体制への胎動と改革の数々

 さて、それでは「辛丑」とはどのような年になるのであろうか。試みに、過去の歴史から、その傾向を探って本年の動きを占ってみよう。

 まず想起されるのは、新体制への胎動が見られる点である。旧来のあり方から脱却し、新体制への移行がなされようとしている。たとえば、581年に隋が北周の皇帝から禅譲を受けて建国している。また、「朕は国家なり」の言葉で有名なルイ14世が親政を開始したのは1661年、辛丑の年に当たる。

 我が国においても、大宝元年(701年)に大宝律令が制定され、律令国家形成への道を歩み始めている。慶長6年(1601年)には徳川家康が大坂城より伏見城へと居を移し、東海道に伝馬制を設けると共に、佐渡銀山の直轄支配、伏見銀座の設立など、全国統治への基盤を固め始めている。

 また、それは旧時代の支配者の退場と共に始まる。治承5年(1181年)に平清盛が熱病により死去。死因についてはマラリアではないかと言われる一方、感染症の疑いありとする指摘も存在し、これが正しいとすれば現代を生きる我々にとっても他人事ではない。この清盛の死によって、栄華を極めた平氏の没落が始まるのである。

 天文10年(1541年)には武田晴信(信玄)が父・信虎を駿河に追放し、家督を相続している。甲斐国人らの推戴により、晴信は国主として戦国の世に挑むことになる。同年には、毛利元就が郡山合戦によって尼子詮久(晴久)を破り、安芸国より尼子氏の勢力を駆逐することに成功している。毛利氏の雄飛への端緒となる一戦であった。『平家物語』の筆を借りるならば「猛き者も遂には滅びぬ」へと至る、終わりの始まりを見ることができるかもしれない。

 さらに、新体制は数々の改革を伴う。享保6年(1721年)、徳川吉宗は「享保の改革」の一環として民の意見を徴する「目安箱」を設置し、「小石川御薬園」の拡張が行われた。この2つの施策は、2年後に貧しい病人のための療養施設である「小石川養生所」の設立へとつながっていくことになる。

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