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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

ニューイヤーコンサートで不可欠のヨハン・シュトラウス、報酬は2億円超だった!

文=篠崎靖男/指揮者

ヨハン・シュトラウス、アメリカ独立100周年記念事業での報酬は2億円超!

 ウィーン・フィルが演奏するヨハン・シュトラウスに話を戻します。彼は1899年に死去したので、元旦にウィーン・フィルが演奏し、全世界で放送されるようになるとは思いもしなかったでしょう。しかも、そもそも彼の音楽はコンサートホールで観客が耳を澄まして聴く音楽ではありませんでした。実際には、当時大流行したウィーンのワルツポルカ、つまりダンスのための音楽を作曲、演奏していたのです。

 当時も、もしかしたら今でも、芸術的価値が高いと思われていないのは残念なことですが、一曲一曲がすばらしい魅力と驚かされる変化を兼ね備えた音楽なのは驚嘆に値します。そして当時のシュトラウスは、一晩に5カ所以上の会場をはしごして演奏しなくてはならないくらい大人気の超売れっ子でした。今ならヘリコプターで移動するほどですが、当時は馬車しかないため、揺れる馬車の車内でも新曲を大急ぎで作曲していたそうです。余談ですが、そのように時間がないにもかかわらず、プレイボーイとしても大忙しだったそうです。

 そんなシュトラウスの名声はあっという間に世界中にとどろき、1872年にアメリカ独立100周年記念事業の一環として招かれた際の報酬は、当時としては破格の10万ドル。当時の貨幣価値を現在に置き換えると216万ドル(約2億2400万円)となります。さらにそのなかでも、ボストン平和記念祭のコンサートでは、10万人の聴衆の前で指揮をすることになるくらい大歓迎されたのです。

 当時はもちろん音響機器はないので、10万人に聴かせるためにオーケストラと歌手を合わせて2万人の楽団が編成されました。しかし、ほとんどの演奏家や歌手にとって、指揮者のシュトラウスは豆粒ほどの大きさだったはずですし、今のように大型スクリーンで指揮者を映し出すこともできないので、実際には100人の副指揮者がシュトラウスと同時に指揮をして、代表作『美しく青きドナウ』が演奏されたのです。

 このとき当のシュトラウスは、「こんな状況で、ちゃんとした演奏をできるわけがない」と心配していました。しかし、もしキャンセルでもしようものなら、一生かかっても払いきれるはずもない違約金が生じます。そこで意を決して指揮を始め、なんとか最後までこぎつけて、10万人の聴衆の大喝采を浴びたのでした。当時のボストンの人口は約25万人なので、なんと市民の4割がシュトラウスの指揮を見たことになります。

 日本でもニューイヤーコンサートといえば、ヨハン・シュトラウスのワルツやポルカは欠かせません。僕も1月17日に静岡交響楽団・新春富士ニューイヤーコンサートで、シュトラウスを指揮します(詳細は静岡交響楽団HP参照)。

 僕はシュトラウスが大好きです。小学校低学年の時に親にねだって買ってもらったレコードは偶然にも、1939年にニューイヤーコンサートを始めた指揮者クレメンス・クラウスとウィーン・フィルのシュトラウス特集でした。
(文=篠崎靖男/指揮者)

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●篠﨑靖男
 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

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