
歌舞伎俳優の八代目中村芝翫さんが23歳年下の美女と不倫関係にあると「文春オンライン」(1月6日配信)で報じられた。「文春」の報道によれば、芝翫さんは昨年11月末に仕事で京都を訪れた際、不倫相手の女性と合流し、3日にわたりホテルで夜を共にしたという。また、2人は12月にも東京で密会していたとも報じられている。
芝翫さんは、2016年9月にも京都の人気芸妓との不倫をやはり「週刊文春」で報じられており、一連の報道が事実とすれば、少なくとも2度目である。このように不倫を繰り返すのは一体なぜなのか?
次の3つの理由によると考えられる。
1)強い特権意識
2)不倫が悪いとは思わない
3)万一ばれても大丈夫と高を括っている
まず、芝翫さんは「自分は特別な人間だから、普通の人には許されないことでも許される」という特権意識を抱いているように見える。この特権意識を支えているのは、名門の生まれゆえの選民意識と過去の成功体験だろう。
芝翫さんは歌舞伎の名門、成駒屋に生まれ、大名跡・芝翫を継ぎ、いまや歌舞伎界を代表する立役(男役)の1人にまでなった。しかも、前回不倫が報じられたのは2016年9月だったが、その翌月には八代目芝翫を無事襲名することができたし、3人の息子も同時に襲名という快挙を果たした。だから、少々のことは許されるという特権意識を抱いても決して不思議ではない。
このように過去の成功体験が影響して、特権意識が強くなるのは、不倫を繰り返す“懲りない人”に共通して認められる特徴である。たとえば、俳優の石田純一さんもその1人で、過去に不倫が発覚した際、「不倫は文化」と発言した影響で仕事が激減し、数千万円の借金を抱えたそうだが、バッシングをものともせず、復活を果たした。こういう成功体験が特権意識に拍車をかけ、それが不倫を繰り返す一因になることは少なくない。
また、不倫が悪いとは思っていないようにも見える。これは、やはり歌舞伎界で脈々と受け継がれてきた「遊びは芸の肥やし」という伝統のせいだろう。前回不倫が報じられた際、「文春」の取材に妻でタレントの三田寛子さんは、「ウチには“芸の肥やし”はありません!」と答えたが、歌舞伎の名門の家で生まれ育った芝翫さんには、この伝統が染みついているのではないか。
この伝統は、まんざら間違いでもないと私は思う。歌舞伎は不義密通や心中などを題材にした演劇なので、“心のひだ”のようなものを表現するのに道ならぬ恋の経験が役立つこともあるだろう。それがいまどき許されるのかという問題は残るにせよ、この伝統を楯に取って自らの不倫を正当化する歌舞伎役者は少なくないように私の目には映る。