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事業が軌道に乗ると株式会社化し、社名はゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』に登場する兄弟姉妹思いの美しい女性「シャルロッテ」にちなんで「ロッテ」と命名した。
実業家に転身した重光は絶えず業界トップを目指し、業界の常識を覆す奇想天外な経営手法でガム業界のガリバーといわれたハリスを撃破、チョコレート事業進出にも思いをはせた。しかし「チョコレートを制するものは菓子業界を制す」とまでいわれる巨大産業。明治製菓や森永製菓のような大手総合菓子メーカーが市場を握り、とてもガムの専業メーカーが進出などできるような事業ではなかった。
しかし巨大な相手に勇猛果敢に挑むのは重光の重光たる所以。ここでも巨大企業を押し退け業界のトップシェアを手にする。
韓国屈指の財閥へ
重光は政治とも深くかかわっている。日本では岸信介をはじめ福田赳夫、中曽根康弘など歴代総理と懇意にし、ロッテ球団買収は岸の仲介だった。
重光が韓国に初めて進出したのは1958年。当時は在日韓国人が簡単に祖国に投資できなかったことから、弟たちに菓子事業を任せていたが、のちに対立する。一方で日韓国交回復の仲介者として尽力、朴正煕大統領とも交流を深めるようになり、それ以降、全斗煥、金泳三、金大中、李明博など歴代大統領とも親交を深めていく。
重光が再び韓国の地を踏んだのは日本に渡って21年目の1962年。重光は朝鮮戦争で疲弊し最貧国となっていた韓国の姿に衝撃を受け、祖国復興を誓う。
重光が韓国に本格的に進出したのは日韓基本条約が締結されて以降のことだろう。韓国では重化学工業をやりたいと思っていた重光に朴大統領は石油化学、製鉄事業などを提案するが結局、空手形となり、ぬか喜びをさせられる羽目に。3度目の正直とばかりに勧められたホテル事業を皮切りに百貨店、免税店、スーパー、コンビニ、エンタテインメント複合施設などの観光流通産業、石油化学事業、不動産建設事業と新しい事業を次々に展開、韓国の屈指の財閥に育て上げ、2020年1月19日、享年98歳で他界した。
時代の転換点は大きな破壊から始まる。コロナ禍もまた大きな時代の節目といっていいだろう。戦後という波乱の時代を生き抜き、裸一貫から10兆円企業をつくり上げた彼の人生を振り返ることで、ポストコロナの時代を乗り越えるヒントを見つけることができるかもしれない。
(文=編集部)