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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

オーケストラ楽員にまで「おひとり様」の波…価値観が急速に転換、キャンプも「ソロ」が人気

文=篠崎靖男/指揮者
オーケストラ楽員にまで「おひとり様」の波…価値観が急速に転換、キャンプも「ソロ」が人気の画像1
「Getty Images」より

 僕は、海外ではプロのオーケストラしか指揮を振る機会はありませんでしたが、日本に帰国してからは、プロの指揮をしながら、市民オーケストラや一般大学オーケストラともコンサートをするようになりました。

 こうした違いの背景には、日本のアマチュア・オーケストラのレベルが大変高く、活動が盛んなことがあります。また、音楽大学を卒業して、一般企業の社員や教員になられた方々の音楽活動として成り立っていることもあるでしょう。なかには「本業と演奏、どちらが大事なんだろう?」と思わせる猛者までいます。

 そんななか、アマオケの方々とのリハーサルが終わると、ひとりの若いメンバーから「篠崎先生、カラオケボックスでしっかりと練習しておきます」と言われました。最初はなんのことか、まったくわかりませんでした。カラオケボックスは“歌って楽しむところ”と認識していたからです。しごきにしごかれたリハーサルのあと、カラオケで大いに歌いまくっても、難しい楽器のパートが弾けるようになるわけではありません。

 しかし後日、疑問が解けました。どうやら、カラオケボックスを借りて練習する人が多くいるようなのです。カラオケボックスはしっかりと防音が施されているので、それが楽器の練習にちょうどいいというのが、その理由です。プロの演奏家のなかにも、カラオケボックスで練習する人がいるようです。

 これには、昨今の住居の騒音問題が関係しています。周りを森に囲まれた家にでも住んでいれば別ですが、日本の住宅事情は、隣家と近接しており、マンションやアパートではそれこそ壁一枚を隔てているだけです。フルートやヴァイオリンのような、大きな音を出さない楽器であっても、深夜や早朝にでも練習していたとしたら壁をドンドンと叩かれることになります。特に大きな音が出るトランペットやトロンボーンなら、日中であっても自宅で練習することは困難です。

 しかも、プロのオーケストラでは、ものすごく難しいプログラムのコンサートをやっとやり遂げたにもかかわらず、翌朝10時からやったこともない曲が並んだリハーサルに取り組むことも普通です。コンサート後、クタクタになりながら夜10時に帰宅しても、必死で練習をしなくてはならず、それでも翌朝も早く起きて、もう少し練習することもあります。

 そんなわけで、高い工事費を出して防音室を自宅に設置している演奏家が多いのですが、大学を出たばかりの若い演奏家や、そもそも防音室の設置を許可されていない賃貸アパート暮らしであれば、練習することなど不可能です。

 実際に、「楽器不可」の賃貸アパートがほとんどですし、公共施設の練習室を借りるのも痛い出費で、それでも大概は朝10時から夜10時までしか利用できません。そんな時、24時間営業のカラオケボックスならば、何時でも使えるわけです。旅先でも、近くのカラオケボックスさえ見つければ、しっかりと練習したのちにビールでも1杯注文して、好きな歌を1曲大熱唱してストレスを発散することもできるでしょう。

「おひとり様」が広がる日本

 カラオケチェーンによっては楽器練習を断られることもあるそうですが、多くは楽器練習も可能で、最近ではビジネスパーソンがリモートワークで利用するなど、多目的な使い方が広がっています。また、「1人でカラオケボックスに入るのもどうなのか?」と思っていたら、今は1人カラオケ自体が大はやりだそうです。

 実は、それを知ったのは、英国国営放送・BBCの『The rise of Japan’s ‘super solo’ culture(日本のスーパーソロカルチャーの台頭)』という番組でした。それによると、1人カラオケ客は、すべての顧客の30~40%に上っていて、「みんなの中で歌うのは恥ずかしいし、順番も待たなくてはならない。しかし1人であれば、歌いたいときに好きなように歌えるからいい」と、大人気だそうです。

 これは演奏家の個人練習でも同じで、うまく演奏できないところを練習しているのを仲間には見られたくないし、1人練習が伸び伸びとできるという点でカラオケボックスはとても便利なのです。

 ちなみに、このBBCの番組は、新型コロナウイルスがあまり騒がれていない2020年1月15日の放送でした。感染症対策を考えると、1人カラオケをする客の割合はもっと多いことでしょう。同番組内では、「おひとり様」という言葉を何度も使っていました。1人で焼き肉店に行って肉を焼いたり、居酒屋チェーンで飲んでいる人も、今では当たり前のようになりました。

 しかし、たった十数年前までの日本人は、まったく違う考え方を持っていたようです。2008年に「便所飯」という造語を生んだ大阪大学の社会学者、辻大介氏は、1人で食事をすることで「誰も一緒に食べてくれる人がいない」と周りから見られるのが嫌で、トイレの中で食べる人が、女性を中心に増えていると指摘しました。それが、この10年の間に日本人の考え方に大きな変化が生じて、今では「ひとり映画」「ソロキャンプ」が大流行しています。

 ところで、オーケストラで「ソロ」といえば「おひとり様」ではなく、楽器を1人で演奏するということです。フルート奏者が1人でメロディーを吹いたり、コンサートマスターが超絶技巧の演奏をしたり、トランペット奏者が1人で堂々と大音量でメロディーを吹くことを指します。

 しかし、オーケストラのソロが、カラオケや焼き肉店での気楽な「おひとり様」と異なるのは、周りに時には100名近いプロ中のプロの演奏家仲間がいることです。しかも、入団前の試用期間中であれば、そのソロを失敗すれば、それで“おしまい”になることもあります。目の前では指揮者が怖い顔をしてにらみつけ、2000名の観客が一音も聴き逃すまいと、まばたきも少なめに見つめているので、演奏家の「おひとり様」は大変怖いものとなります。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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