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相原孝夫「仕事と会社の鉄則」

「好きなこと、情熱を注げることを仕事にしろ」を絶対に真に受けてはいけない理由

文=相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント
「好きなこと、情熱を注げることを仕事にしろ」を絶対に真に受けてはいけない理由の画像1
「Getty images」より

 今年はコロナ禍というこれまで経験のない世界共通の災難に見舞われたまま新たな年を迎えることとなった。昨年は、外出自粛が続くなかでリモートワークを余儀なくされた人も多く、仕事の仕方が大きく変わった1年だった。それは同時に、否応なしに、仕事のあり方について考えざるを得ない機会を得たともいえる。

 この機に転職をしたという人も少なからずいるであろう。私も数名の知人から転職の報告を受けた。それも現在の仕事について振り返ってみた結果なのであろう。仕事とは、自分の人生においてどのように位置づけるべきものなのだろうか、また、どのように臨むべきものなのだろうか。仕事の捉え方については人それぞれだが、よくいわれる言説のなかで以前から気になっている点があるので、今回はその点について述べたいと思う。

好きなことを仕事にすべきだろうか

「好きなことを仕事にすれば、それはもはや仕事ではなく、熱中してほぼ休みなく働き続けることができる」というようなことがいわれる。「自分の愛することを仕事にすれば、生涯で1日たりとも働かなくて済む」という孔子の言葉にもつながる。こうした考え方の影響もあり、また、「自己実現思想」の蔓延の影響もあり、若い世代の人たちは、より意味のある(と自分が思える)仕事、より自分に向いている仕事を追い求める傾向にある。「情熱を持って働ける仕事を選びなさい」ということも、米国をはじめとして多くいわれている。特に、職業選択にあたっての若者へのアドバイスとしていわれがちだ。情熱を注げることを仕事にすることが成功への早道だというわけだ。

 しかし、好きなこと、情熱を注げることを仕事にすることは、もちろん容易なことではない。それと同時に、こうした考えはある弊害を招いている可能性もある。仕事で失敗をしたり、辛いことがあったりした場合、「自分が好きな仕事ではないからだ、情熱を注げる仕事ではないからだ」と簡単に結論づけてしまいかねないのだ。

 そして、より自分に向いた仕事を求め、適職探しを始め、転職をすることになる。そして別の仕事に就いたとし、再度自分にとって好ましくないことが起これば、同じことの繰り返しとなる。なぜならば、どんな仕事にも、厄介な面は必ずあり、失敗もあり、辛い経験もあるからだ。仕事である以上、それは当然のことなのだ。そもそも本当に好きなことを仕事にしようとするのならば、会社に就職しているのだろうか。

 それゆえ、「情熱を注げる仕事をしなさい」というアドバイスはいささか無責任な甘言であるように思えてならない。そもそも、新卒採用が主である日本においては、やったこともない仕事に関して、自分が情熱を注げるかどうかなど、わからないであろう。さらには、職種別採用でもないような場合には、どのような職場に配属されるかもわからないままに、そうした判断はできるわけはないのだ。

 ただ、就職前に聞いていたその甘言が、就職後に災いすることになる。配属された職場での仕事について、うまくいかない、叱られてばかり、評価されないなど、新入社員時には普通にあることだが、そんな時にふと思い出す。そして確信する。「情熱を注げる仕事ではないからうまくいかないのだ」と。情熱のスイッチをすぐに押してくれる仕事など存在しない。この点について誤った思い込みをしている人は、新たに始めた活動が難しそうに感じると、すぐに挑戦をやめてしまうのだ。

若い頃の不遇は美化される

 成功した経営者などは、若い時に、モチベーションが上がらずに不満を抱いていたことなどは忘れているのだ。時間をかけてようやく情熱を持てるようになったにもかかわらず、最初から仕事に情熱を注いでいたかのように勘違いしているか、あるいは美化しているだけだ。

 50代にもなると、それなりの地位に就いている友人たちも多くなるが、役員や部門長というような立場で、最近は偉そうなことを社員に言っているようだが、彼らも就職した頃は、会うたびごとに会社の悪口や上司の悪口を言っていたものである。「こんな会社すぐにでも辞めてやる」などと言うのをどれだけ聞かされたことか。

 典型的なのは以下のようなものだ。20代前半、「この会社に入ったのは失敗だった。この会社は泥船だ。すぐにでも辞めようと思っている。転職先の目星も大体ついている」。30歳前後で家庭を持つと、「いろいろ理不尽なこともあるけど、この会社も悪くはない。自分の実力も徐々に認められつつある」と変わる。40歳前後で課長になると、「うちの会社はこういう理念でやっている。社会にこんな貢献をしている」と、このあたりから途端に会社寄りのことを言うようになる。それと共に、若手社員の不甲斐なさを嘆くようにもなる。「少し叱ると、辞めるなどと言う」と。この時点では、自分が若い頃に同じようなことを言っていたことなどはすっかり忘れている。

 50歳前後で部長になると、「仕事というものは……」と、仕事について一家言あるようなことを言うようになる。さらに部門長や役員になると、自分の会社人生を振り返って一定の満足をしており、「やっぱり若い時分から仕事に情熱を注いできたからこそ今がある。苦労を重ねないと見えてこない景色というものがあるんだ」と、すっかり美化が完了する。はたして定年退職後にはどのように言うのであろうか。

 多くの場合、似たり寄ったり、こんな感じだが、これ自体、本人が満足しており、後悔も残らないのであれば別に悪くはない。会社の思惑通りといえなくもないが、不満や満足、落胆ややりがいなどが交錯しつつ会社人生が進んでいくのは当然なことなのだ。

 ただ、20代、30代の人たちは、年配の人たちの言う、「好きなことを仕事にしなさい」や「情熱を注げることを仕事にしなさい」などのアドバイスは言うに及ばず、「仕事に情熱を注ぎなさい」というアドバイスについても、真に受ける必要はないということだ。仕事を続けていく中で、徐々に情熱は育まれていくものだからだ。成功しているベンチャー起業家も、最初は当然ながら打算で事業を始めている。成功していくにつれて徐々にその事業を愛するようになるのだ。

仕事に情熱を注げなくても問題ない

 新入社員で、組織の末端でこき使われている最中に情熱など持てなくて当然だ。少なくとも、情熱を持てるか、持てないかの二者択一ではない。そんななかでも意味を見いだし、少しでも興味を持ってできそうな業務を見つけて、なんとかモチベーションを維持しつつ継続していくなかで、徐々に情熱は育まれていくものなのだ。情熱を注げるものは、最初から完全な形で現われるものではなく、スキルや自信、人間関係が充実するにつれて、仕事に情熱を傾けることができるようになるのだ。

 また、仕事全体に対して情熱を注げなくても、部分的にでも情熱を注ぐことができれば十分ではないだろうかと私は思う。たとえば、他者との交流が好きな人であれば、社内外に多様なネットワークを築くことや、そのネットワークの人たちと交流できる場をつくることなどに情熱を注ぐことは考えられる。

 あるいは、趣味や特技を仕事に結びつけることも十分にあり得る。もともとは、やはり好きを仕事にという発想で、テレビの制作会社には勤めていた友人が、経済的な理由から運輸関連の企業に転職した。頼まれたわけではないが、特技を活かして、ある営業関連の映像コンテンツを作ってみたところ、社内でたいへん好評を得て、役員の耳にも入り、会社方針やビジョンなども、映像コンテンツ化するようなプロジェクトのリーダーに指名された。部分的ではあるが、趣味と実益を兼ねて、楽しんでやっており、それにより社内でも評判も高まっている。

 仕事以外のことに情熱を注ぐということももちろんあり得る。仕事は仕事と割り切っている人のほうが高いパフォーマンスをあげるという研究結果などもあるように、必ずしも、仕事に情熱を傾けることができないからといって嘆く必要はないのだ。人生を充実させるうえでは、仕事は責任感を持って、できるだけ仲間と楽しく行い、仕事以外の面で情熱を注ぐものが持てれば、それで十分なのだ。

 仕事に情熱を注ぎ過ぎると危険であるとする調査結果もあり、次回はこの点について述べたいと思う。

(文=相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント)

相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント

相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント

早稲田大学大学院社会科学研究科博士前期課程修了。マーサージャパン副社長を経て現職。人材の評価、選抜、育成および組織開発に関わる企業支援を専門とする。著書に『コンピテンシー活用の実際』『会社人生は「評判」で決まる』『ハイパフォーマー 彼らの法則』『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』など多数。

株式会社HRアドバンテージ

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