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死者6434人…阪神大震災から26年、今問われる「神戸市政」と「御用学者」の責任

写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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出口俊一さん

 1月22日夜、NHKが関西エリアで『かんさい熱視線』を放映した。この日は人気作家で自らも被災した作家の真山仁氏が、阪神・淡路大震災を題材にした小説を手掛けているという内容だったが驚いた。出演した防災工学専門の室崎益輝(よしてる)神戸大学名誉教授が「町づくりのポイントは時代の流れを読むこと」とし、「阪神大震災の前は高度経済成長で右肩上がりでしたが、震災後、まさに右肩下がりに下がった」と話していた。

 大震災発生は1995年1月17日。高度経済成長などとうの昔、70年代半ばに終わり、80年代のバブルも90年に入ってすぐ崩壊し、日本経済は下落の一途だったというのに。実は神戸市の行政当局にとって室崎氏の言葉は大変都合がいいのである。

 神戸市は昨年7月、阪神・淡路大震災復興として推進していたJR新長田駅南地区の再開発事業について、1994~2023年度までの収支見通しが326億円の赤字になると発表した。久元喜造市長は「開発後、デフレに入って地価が下落した」などと主たる原因を経済情勢に転嫁した。計画縮小などいくらも軌道修正できたのに、市幹部たちはもっぱら経済情勢のせいにし当初案通り進めたことを「仕方がなかった」とごまかす。室崎氏の発言は彼らの「時代の流れが読めなかった」という言い訳にお墨付きを与えている。

 1995年3月14日、当時、兵庫県労働運動総合研究所の常任理事だった出口俊一氏(72 現、兵庫県震災復興研究センター事務局長)が、神戸市の都市計画審議会で意見陳述した際に引用した、神戸市都市計画局の近藤義和部長の言葉がある。

「住民と話し合いをしていない、決定までの時間が短いとの意見はその通りだ。しかし延長して意見がまとまるだろうか。絶対にないと断言できる。復興は一日でも急ぐ」

 震災発生から2カ月後に市は突如、焼け野原になった新長田駅南に高層ビルを並べる巨大開発を打ち出した。まだ仮設住宅もなく多くの人が避難所生活だった。市役所には怒った市民が押しかけ怒号が飛び交ったが、市民の声など聴くつもりもないことが部長の言葉に表れている。

 元小学校教員で当時46歳だった出口氏は「これでは本当の復興はあり得ません」と計画に強い反対意見を述べたが、計画案は強引に決められる。「そもそも審議会の会長が市の小川(卓海)助役だったこともおかしかった」と振り返る。長田区では火災で多数が焼死したなか、小川助役は「幸か不幸か燃えた」と失言して批判を浴びた。震災前からあった「西日本一の再開発案」も長屋などが密集し着手できなかった。本音が出たのだ。同助役について筆者も震災ルポの拙著『瓦礫の中の群像』(1995年/東京経済)で強く批判した。批判を苦にしたのかは不明だが、小川氏はその後、焼身自殺した。

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シャッターだらけの大正筋商店街

シャッター街と化した大正筋商店街

 惨劇から26年。大開発事業がほぼ終わったJR新長田駅南側の前の大正筋商店街の1階部分は半分近くがシャッター、2階に上がるとほとんどシャッターが下りている。新型コロナの影響ではない。とうの昔からだ。

「326億円は空き床がすべて売却できたとしての数字。本当は500億円にはなるはず」と指摘する出口氏が情報公開で入手した再開発事業のデータ文書に、驚くべき数字がある。事業費は約2280億円。うち約990億円が工事請負費。500億円が地権者からの公有財産購入費。このあたりはいいが、それに次ぐのが「委託費」の約184億円である。出口氏は「でたらめな運営をしてきた『新長田まちづくり株式会社』のコンサルタントなどへ流れた税金です」と明かす。コロナ禍にも特定の仲介組織に巨額の税金を投入する政府の「Go To トラベル」を思い出す。

 神戸市は焼け出された商店主らには賃貸は許可せず、大正筋商店街で再開するには2階までの分譲店舗を購入しなくてはならなかった。だがその後、神戸市は「空き床だらけ」の批判回避のため賃貸を始め「ただ同然」で貸してゆく。高層ビルの3階から上はマンションだが、住人にはエレベーターの電気代などの共益費負担はさせず、比較的安価なマンションをいっぱいにし、「人口が増えた」とした。ツケはすべて「ババを引かされた」分譲購入店主らに回された。店主らは転居したくとも、資産価値は限りなくゼロに近づき売却もできない。

 横川昌和さんは大正筋商店街で営んでいた大衆食堂「七福」が震災で全焼し、9年後に購入して再開した。「管理費は3倍になり年45万円。固定資産税は40万円します。失敗しても市は経済情勢と制度のせいにするだけ。ここの人口が増えたと言っても長田区の人をビルに集めただけ。区の人口は減っていますよ」と苦笑する。

 神戸市は「賑わいを取り戻す」という名目で同商店街の横に、空き床だらけだったにもかかわらず豪華な新庁舎を約80億円かけて建設した。批判を新たなゼネコンへの利益誘導に利用するだけの箱モノ行政。久元市長は今も「新長田駅前をロータリーにする」などと言っている。

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「市の言うことを信じていたがとんでもなかった」と横川昌和さん

想定震度「5強」

 時計の針を巻き戻す。冒頭の室崎氏は神戸大教授時代の震災の1986年に、神戸市の「地震対策部会」を設けた。だが「阪神間で過去に巨大地震はなく、台風や水害が主な災害、震災対策は副次的。耐震工事は金がかかる」という市の意向を受けた室崎氏は、神戸大名誉教授の地震学者、寺島敦氏らの「最低でも想定震度6にするべきだ」との進言を潰し、「市地域防災計画・地震対策編」で想定震度を「5強」とまとめてしまう。何の見直しもされず9年後に震度7の大震災が起き、約900人の関連死も含め6434人もの命が奪われた。

 死者の多くは耐震不足の建築物の下敷きになり息絶えた。室崎氏は震災後に講演などで泣いて謝罪していたと聞くが、犠牲者を決定的に増やした「戦犯」に違いない。関西メディアが今も彼をもてはやし続けるのが不思議だ。

 現代日本の人口密集地での空前の地震災禍は今なお、関東大震災と阪神・淡路大震災であり、大都市災害への教訓は主たる被災地域が過疎地だった東日本大震災よりも多い。神戸の行政や「御用学者」らが何をしてきたか、伝え続けたい。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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