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江川紹子の「事件ウオッチ」第170回

これこそ「不要不急」! 国旗損壊罪は提出すべきではない…江川紹子の提言

文=江川紹子/ジャーナリスト
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これこそ「不要不急」! 国旗損壊罪は提出すべきではない…江川紹子の提言の画像1 自民党は、日本を侮辱する目的で日の丸を傷つけたり汚したりする行為を処罰する「国旗損壊罪」を新設する刑法改正案を、今国会に議員立法として提出する方針を固めた、と報じられている。同法案によれば、違反した者は「2年以下の懲役又は20万円以下の罰金」。コロナ禍をなんとか収めることに全力を尽くすべきこの時期に、表現の自由と真っ向から対立するイデオロギー法案を出そうという発想自体が理解しがたい。

自民党による党利党略のため?「国旗損壊罪」法案の国会提出

 現在の菅政権は支持率が続落傾向にあり、与党議員やその秘書による会食や深夜のクラブ出入りなどが政権の足を引っ張っている。さらに、河井案里参院議員への有罪判決、収賄罪で在宅起訴された吉川貴盛元農相の議員辞職など、「政治とカネ」を巡る問題も相次ぐ。とてもではないが、日の丸の扱いを巡る法案を、じっくり審議している時間などあるまい。それに、今急いでこの法案を審議しなければならない事情は何もない。

 同党は、野党時代の2012年にも同じ法案を提出。その後、衆議院解散で廃案となった。その総選挙で自民党は大勝し、政権に復帰した。今年も、秋までには総選挙があることが確実。「不要不急」の法案の提出を急ぐのは、安倍政権を支えた岩盤支持層である右派へのアピールだろう。コロナ対策で、思想信条を超えた多くの国民の協力が必要な時期の国会に、このような“分断の素”を放り込もうというのは、まさに党利党略の所行ではないか。

 同法案提出を求める高市早苗前総務相は、刑法に外国国章損壊罪があることを挙げ、「外国の国旗と同等の刑罰で対応するのが重要だ」と主張。自身のブログに「いずれの国旗も、平等に、尊重して扱われるべき」と書いている。

 確かに、刑法第92条は「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者」を「2年以下の懲役又は20万円以下の罰金」に処すると定めている。

 こうした行為が処罰の対象になるのは、それが外交問題に発展したり、最悪の場合に国際紛争の火種となったりして、日本の安全や国際的地位を危うくしうるからだ。

 だからこそ、同条は当該外国政府の要請がなければ起訴できない親告罪になっている。では、日本人が日本の国旗である日の丸を傷つけた場合は、どうするのか? 特定の行為や表現に、「日本国に対して侮辱を加える目的」があるかどうかを、誰がどうやって決め、告発するのだろうか。

 法案の条文にはそれが書かれていない。ということは、警察や検察、いわば当局の判断次第で立件したりそうでなかったり、ということになるのだろう。

 日の丸を「損壊」した場合、現行法ではまったく処罰がなされない、というわけではない。よく知られているのは、1987年第42回国民体育大会(沖縄海邦国体)で、読谷村のソフトボール競技会場センターポールに掲げられた日の丸が、1人の男性に引きずり下ろされ、焼き捨てられた事件だ。

 これには背景がある。当時政府は、文部省(当時)を通して学校での国旗掲揚・国歌斉唱を強力に指導していたが、沖縄での実施率は低かった。沖縄戦で多くの犠牲者を出し、本土復帰後も米軍基地が存続し続け、さまざまな差別も経験した沖縄では、日の丸や君が代への抵抗が強かったのだ。

 読谷村では、村議会が日の丸・君が代の「押しつけに反対する要請決議」をあげ、日の丸・君が代抜きの国体を目指していた。すると、日本ソフトボール協会の会長が「日の丸・君が代がなければ会場を変更する」と主張。県が仲裁に入り、日の丸は掲揚するが、君が代はなし、という形で行われることになった。

 事件後、読谷村は地元の知花昌一さんを建造物侵入と器物損壊で告訴。那覇地検は、別件の威力業務妨害・公務執行妨害を加えて起訴し、那覇地裁は懲役1年執行猶予3年の有罪判決を下した。この判決は控訴審で確定している。競技場に立ち入ったことが建造物侵入、日の丸を焼いた行為は器物損壊に当たるとされた。

 つまり、公共の場などに掲揚されている日の丸への毀損行為は、現行法で処罰できる。しかも、「日本国に対して侮辱を加える目的」などという内心に立ち入る必要はなく、外形的事実で客観的に判断ができる。

高市早苗前総務相の言うように、刑事罰で脅さなければ「国家の存立基盤を損なう」のか?

 ただ、器物損壊罪が適用されるのは、「他人の物」を壊したり傷つけたりした場合のみ。高市氏らが考えている「国旗損壊罪」は自分の持ち物であっても罰するというものだ。これができれば、たとえば国に対する抗議など、政治的な表現行為として日の丸を焼いたり、あるいは芸術表現の中で日の丸を使ったりすることが、罪に問われる可能性がある。

 当人に「侮辱」の目的がなくても、そういう主張が受け入れられるとは限らない。

 思い出すのは、2019年に行われた国際芸術祭『あいちトリエンナーレ』の企画展「表現の不自由展」に出展された大浦信行さんの映像作品を巡る騒動。昭和天皇の写真を含む、自身のコラージュ作品を燃やす場面が「天皇の写真を焼いた」と喧伝され、激しく非難された。河村たかし・名古屋市長が「昭和天皇への侮辱」と断じるなど、国会議員を含めた政治家たちの発言も多かった。

 そのコラージュ作品は、かつて政治家による横やりで美術館への展示がなされなくなった経緯がある。大浦さん自身は、作品を燃やす場面を、「僕自身の『内なる天皇』」を、主人公である従軍慰安婦に託して「昇華させた」と語っている。しかし、そうした文脈は一切無視され、動画作品の一部が切り取られて「侮辱」と決めつけられた。

 国旗も、天皇と同じく日本国の象徴である。日の丸で同じようなことが起きてもおかしくない。裁判で「侮辱」の意図を争い、有罪にならなかったとしても、告発を受ければ、長い時間、捜査や裁判への対応を強いられる。

 韓国には、「国旗冒涜罪」がある。乗員乗客、さらには捜索に当たったダイバーなど合わせて300人以上が犠牲になったセウォル号沈没事故から1年後の2015年、追悼集会で韓国の国旗である太極旗を燃やした青年が、この罪で逮捕・起訴された。青年は裁判で「大韓民国を侮辱する目的で国旗を燃やしたのではない」と主張。警察が集会参加者を過剰に鎮圧していると感じ、突発的に警察車両の太極旗を取ってライターで火をつけただけだと述べた。

 結局裁判所は、国旗冒涜については無罪とし、交通妨害の行為を有罪として、懲役6月執行猶予1年とした。これは2020年11月、大法院で確定した。焼却事件から5年半の歳月を要した。

 この件は、「侮辱する意図」という内心を、客観的な事実から認定することの難しさや、ひとたび当局から「侮辱する意図あり」と見られた市民が、その疑いを晴らすのは容易でないことを教えてくれているように思う。

 表現の自由を萎縮させかねないこのような法律を導入して、いったい何を守ろうというのだろうか。そもそも、個人が自分の国を「侮辱」することによって、いったいどのような損害が生じるのだろうか。人への侮辱は、その人を傷つけ、死に追い込むことすらある。そのような事態にならないよう、刑事罰をもって、そうした行為を禁じる意味はある。では、自国への「侮辱」を刑罰をもって守ることには、どのような利益があるのか。

刑事罰で脅さなければ、「国家の存立基盤を損なう」のか?

 高市議員は、「(国旗)損壊等の行為は、『国旗が象徴する国家の存立基盤・国家作用を損なうもの』であり、『国旗に対して多くの国民が抱く尊重の念を害するもの』」と書いている。

 しかし、今の日本は、刑事罰で脅さなければ、人々が次々に国旗を損壊し、「国家の存立基盤・国家作用を損なう」ような状況にあるだろうか。

 とても、そうは思えない。オリンピックやワールドカップなどスポーツの国際大会で、人々は日の丸を振って応援し、よい成績を収めた選手は大きな日の丸を羽織ってウイニングランを行う。 新年の一般参賀などでは、大勢の人が日の丸の小旗を振って皇族方をお迎えするのが恒例になっている。日の丸を毀損する行為があれば、それを目の当たりにした多くの人は、むしろ眉をひそめるのではないか。

 日本の国を誇りに思い、その象徴たる国旗を敬愛する人は、そのような行為にひどく「尊重の念」を害され、憤るだろう。けれども、それは個人を公の場でさらし者にし、侮辱したのとは異なる。

 何を敬い尊ぶかは、個人の自由である。大多数が尊重するものを、同じように尊重しない個人を罰するのは、全体主義の発想だ。

 それに、人には好まない表現を見聞きしない自由もある。たまたま見聞きしてしまった場合にも、すぐに拒絶し、抗議し、あるいは批判を展開する自由もある。多くの人が拒否する表現は、おのずと発表の場も次第に限られていくだろうから、偶発的に出くわす可能性も低くなるのではないか。

 高市議員や法案に賛同する人々は、「表現の自由」を掲げる他の国々にも、自国の国旗の毀損を禁じる罰則規定がある、と主張し、アメリカやフランス、ドイツなどを挙げている。

 ただ、アメリカではこの条文に対して、表現の自由を保障した憲法に違反するという判決が確定している。

 それに、人権を制限するさまざまな法令は、各国の歴史と深く関わっている。「表現の自由」といっても、そのありようは国によって異なる。

 フランスの場合、教会と王政が一体となった旧権力を革命によって倒したという原点から、宗教を冒涜することも「権力への批判」として容認される。そのため、イスラム過激派による攻撃を受けても、イスラム教の預言者ムハンマドへの風刺画をメディアに掲載する自由を、フランスは譲らない。その一方で、学校でスカーフをかぶったり、十字架をつけたり、あるいは公共の場所で顔をベールで覆ったりして、個々の人が自身の宗教心を表現することは禁じられている。

 またフランスでは、反ユダヤ主義的な表現やホロコーストの否定は処罰の対象となる。SNS上でのテロ、暴力、人種差別の扇動、児童ポルノなどを含む投稿については、運営会社に削除を求め、応じなければ最大125万ユーロ(1億5200万円)の罰金が科される厳しさだ。

 ドイツでも、ホロコースト否定だけでなく、ナチのシンボルやナチズムを称揚するような表現、ヘイトスピーチは禁じられている。SNS上のヘイトスピーチは、運営会社に削除を義務づけ、さらには当局への通報も求めている。

日本を最も貶めているのは誰なのか?「不要不急」の案件に時間を費やすべきときではない

 こうした点では、日本のほうがはるかに規制が緩い。日本の場合、当局が国民のさまざまな自由を規制し、戦争に突き進んだ過去への反省から、法律による自由の制約には慎重だ。ただし事柄によっては、内定していた補助金について「手続き上の不備」があったとして突如不交付を通知したり、「政治的中立に触れる」からと、展示会や公の出版物への出展や掲載を排除するなどの不利益を与えたりして、好ましからざる表現を「自粛」へと誘う。ただし、行政の判断は批判が起きたり裁判に負けそうになったりすると撤回されることもあり、基準やルールが明確でない分、柔軟というか、不透明な面もある。

 法律で厳格にルールを定めるか、「要請」や「自粛」などで対応するか、という人権の制約に関する手法の違いは、「表現の自由」に限らない。コロナ禍でも違いは顕著だった。

 フランスやドイツなどヨーロッパ諸国は、国民の人権を制限する際には、罰則を伴う法律で規制を行う、という原則を徹底する。そのため、規制に不満を抱く人たちの表現行為は「反政府デモ」という形になる。

 一方、日本の場合は極力そうした法規制は行わず、「要請」と「自粛」によって、人権の制約が行われる。自粛生活で生じた不満の矛先は、周辺の個人に向けられ、「自粛警察」などの形で現れる。

 これだけ手法が異なる国を比べて、「フランスやドイツにもあるんだから日本でも」というのは無理ではないか。「どうしても」というなら、現実に被害が出ているヘイトスピーチの問題で、フランス・ドイツ並みの規制を取り入れたり、関東大震災の時の朝鮮人虐殺や日中戦争での市民への残虐行為などの史実を否定する者は罰する規定を作ったりするほうが先だろう。

 さらにいうならば、現在の日本で、国旗や「国旗が象徴する国家」を最も貶めているのは、日の丸をはためかせながらヘイトスピーチや歴史否認の言説を公の場で展開する連中である。

 民族派「一水会」顧問の鈴木邦男氏は、そうした場面を見て、こう語っている。
「ヘイトスピーチ、排外主義に利用される日の丸がかわいそうだ。日の丸が泣いてるじゃないか、と思いました。血の涙を流している」

 高市議員たちが、日の丸を心から大事に思うのであれば、このように日の丸を貶め、日本国の評価を低下させるような連中を諫めるのが先であろう。

 このコロナ禍で、国会が国旗損壊罪の導入のような「不要不急」の案件に費やしている時間はない。そうした法案の提出は控えるのが、「選良」としてのふるまいではないか。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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