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組織委会長“有力候補だった” 山下泰裕は、本当に森の女性発言を止めようと思ったか?

写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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山下泰裕JOC会長

 大揉めの東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長人事。2月16日に日刊スポーツは、山下泰裕JOC(日本オリンピック委員会)会長が有力と報じた。しかしその後、橋本聖子五輪相が浮上している(18日時点)。ここでは山下氏について書こう。

 組織委の森喜朗会長辞任が報じられた2月12日、緊急会合が開かれた東京・晴海の「トリトンスクエア」には、驚くような数の報道陣が集まっていた。筆者も現地取材したが、15時からの会合は代表撮影だけが許され、記者たちは控室でリモート映像を見るだけ。「女性の理事が入ると長くなる」と宣ったはずの森氏は長々と自分の功績を話し、「長い83年の歴史のなかで本当に情けない」としたが、「そういう(女性蔑視の)意図でものを言ったわけではないが、多少意図的な報道があったんだろう」とも語った。これが本音だろう。リモートでも見られたのはそれだけ。あとは「密談」が17時過ぎまで続いた。

 森氏が登場しない武藤敏郎事務総長による記者会見の直前、記者控室に川淵三郎氏(日本サッカー協会相談役)が現れた。短時間の囲み取材だった。後任の会長就任について「最後の大仕事」と張り切っていたが、密室での森氏から川淵氏への「密室禅譲」が批判され、撤回した。自分のマスコミへのリップサービスが墓穴を掘ったと淡々と話していたが、「もうやめよっと」と出て行った。

 入れ替わって入ってきたのは山下氏。全日本柔道連盟(全柔連)の会長でもある。最初に質問を制して「発言は不適切で辞任は仕方ない」として話し出したが、ほとんど森氏の功績をたたえる内容だった。森発言の後、山下氏は会見で「(森発言を)止めようと思ったがタイミングを逸した」など話していたが、筆者は素朴な疑問を持っていた。「止めなければいけないなどと本当に思ったのだろうか?」と。

山下氏「たぶん、応援のつもりで来たと思いました」

 余談だが筆者は1つ歳下の山下氏の柔道に憧れ、大学から柔道部に入ってしまった。柔道は弱かったが、今も全日本選手権や世界選手権などの取材に駆け付け、山下氏の会見などに接してきた。非常に誠実な人物との印象だ。

 だが、今回は「嘘だろう」と感じていた。若い記者たちは驚いたようだったが、至近距離で単刀直入に質問した。以下に再現しよう。

筆者「森さんの発言が出た時のことですが、山下さんは『発言を止めようと思ったけどタイミングを逸した』というようにおっしゃったと思いますが、本当でしょうか。同じ世代で同じような教育を受けた僕なら思わないと思います(周囲から小さな笑い声)。あとになってマズいなと思っての、後付けだったのではないでしょうか?」

 山下氏「まず、前提として、先ほど申し上げたように女性参画について前向きで。そういう人となりを知ってるし、たぶん、応援のつもりで来たと思いました。女性の話になった時、長くなるぞ、覚悟しとけよ、と私に対してだったのかと思った。私の周囲のいろんな人が『あれ止められるのか。難しいよな』と言っていた。難しいよな、などと言っていた。私に対して言っているのかもしれません」

筆者「これ以上しゃべるとマズいな、とは思ったわけですか」

山下氏「その話は、とは思いました」。

 要領を得ないが、彼の混乱ぶりに「止めなければ、なんて思ったはずはない」のを確信した。それ以上畳みかけなかったのは「内面の思い」でしかないからだ。筆者の突飛な質問にハラハラしていたであろう、囲み会見を仕切っていた事務局の男性にこっちから話しかけると「山下さんは女性に対してすごく気を配る人ですし、私は本当にそう(止めなくてはと)思ったと思いますよ」と話した。

山下泰裕という「人格者」

 振り返って2013年、女性強化選手への暴力やパワハラをめぐって柔道界は大騒動になり、当時の上村春樹全柔連会長は引責辞任した。騒動の真っただなかにいた山下氏は、「女性差別」について筆者よりは敏感にはなっていただろう。

 素朴で裏のない山下氏は、周囲に支えられてきた。JOCの会長になった時、「理事会を非公開にする」として批判されたが、山下氏が言い出したというより、彼に恥をかかせまいとする周囲の「忖度」に映った。正直言うと、相当「政治的に」振る舞わなくてはならないJOC会長職は山下氏には難しいと感じている。

 前任の皇族出身者、竹田恒和JOC会長が、東京五輪誘致に際してアフリカなどの国際オリンピック委員会(IOC)関係者に贈賄工作をしていた疑いでフランスの検察当局から捜査を受けたことで辞任した。「イメージ刷新」を図ったJOCは、ロサンゼルス五輪(1984年)の無差別級決勝で怪我した足を引きずりながら金メダルを獲得し、国民を感動させた国民栄誉賞受賞者に白羽の矢を立てていた。 

 山下氏は昨年、IOC委員に推薦された時は「英語ができないから」などと正直に不安を漏らしていた。山下氏の英語といえば筆者には思いがある。2000年のシドニー五輪は男子無差別級決勝。ダビド・ドゥイエ選手(フランス)を篠原信一が「内股透かし」という高度な返し技で投げたが同体のように落ち、審判はドイエの一本勝ちにした。「世紀の誤審」は覆らず篠原は銀メダルに終わった。

 この時の全日本チームの監督が山下氏。だが彼はマット(畳)下で小さなバッグを振り回しているだけで何もできなかった。あの時、山下監督が咄嗟に英語で大声を出して猛抗議すれば事態は違っただろう。主審が畳を降りてしまえば判定は覆らない。「山下、何やってんだ。イギリスに留学もしたんだろう」と、もどかしかった。そう思った取材記者たちもいたはずだが、誰も書かない。逆に言えば、それだけ「人格者」なのだ。

 さて氏。かつて「子どもをつくらない女性を税金で面倒をみるのはおかしい」と今回どころではない暴言を吐いている。大阪のことを「痰壺」と罵ったこともある。今回、そんな男を山下氏は擁護していた。そのことは批判したくはない。世話になった人が世間でバッシングされたといって、手の平を返して水に落ちた犬を叩くようなことはしない。山下泰裕とは、そういう人物だからだ。 

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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