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『鬼滅の刃』で論争、遊郭の作品利用を忌避すべきではない…普遍的価値の認識こそ重要

文・構成=菅谷仁/編集部、協力=渡辺豪/カストリ出版代表

 映画化された漫画『鬼滅の刃』が、長く国民的作品として愛されてきたジブリ映画を抜いて、歴代興行収入1位を記録したことをきっかけとしてか、同作品がたびたび社会現象扱いされることも珍しくはなくなった。そうした作品が巻き起こした今回の論争は、同作品を鑑賞したことのない私にも、SNSなどを通じて伝わってきた。その論争とは、子どもが読者対象となる作品において、売買春の場であった遊廓を扱うことの是非、と理解している。

 江戸時代、浅草寺からおよそ1キロ北方にあるエリアに吉原遊廓が開かれた。戦後の公娼廃止や売春防止法といった一連の解体・再編成によってカタチは変わってもなお、現在もソープランド街として存続している現行の娼街である。私はこのエリアで遊廓専門の出版社と、同じく遊廓専門の書店を経営している。8割以上が20〜30代の女性客で、以前は女子中学生が両親を伴って来店してくれたこともあった。こうしたことから、遊廓は女性にとって関心が高く、ときに若年女性の興味すら引くテーマであると日常的に理解している。今回の論争には、読者本人の世代から読者の母親世代まで、広く女性が関心を寄せたのではないかと予想している。

 ときに「華やかなりし江戸文化発祥の地」「江戸文化人のサロン」との称揚を含んで紹介されることもある遊廓だが、私は遊廓における娼婦・遊女は性奴隷であったと理解している。とりわけ明治期の開国以降は、高まる国際的な人権意識の潮流の中で、日本政府は自国の公娼制度(遊廓)の温存に腐心した。加えて前近代までの売買春に寛容だった社会から変質し、近代以降は娼婦に烙印を負わせる社会になった。

 また、たびたび俎上に乗せられる、売春行為の倫理的・道徳的な問題以前に、親が子を売り渡すことができるという親権の制度的建て付け、そして大衆はその行為を「貧しい親を救う孝女」とみる価値観(これは現代にも尾を引いている)が、公娼制度が抱えた問題の核心の一つと私はみている。これは「当時の社会状況や価値観では仕方なかった」のではなく、国内外から非難を浴び、国際条約や国内法令にも違反する状況だった。

 遊廓を材に取った浮世絵や歌舞伎、あるいは落語は枚挙に暇がなく、今やクールジャパンとして海外から認知されている。現代になってからも遊廓を描いたマンガ、文芸、映画が製作されている。もし遊廓が存在しなかったならば、日本のアート・カルチャー史は 書き換えなければならず、遊廓が多面的な価値を持つことには疑いがない。

 ただし遊廓が一面として持ち得た「文化的価値」は、遊女と呼ばれた女性の窮状に対する免責理由には到底なり得ない。どれだけ価値があろうと、アート・カルチャーは人間に仕えるものであると私は考えている。

 翻って、こうした歴史的経緯や功罪併せ持つ遊廓という存在を、子ども向け作品に用いるのは「忌避すべき」という主張があるとすれば、現在の社会状況を考えるとき、根本的な解決にならないとも考えている。