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ワンオクTaka、マイファスHiroの“両親問題”論考…森進一の裁判、森昌子の引退

文=ミゾロギ・ダイスケ
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森進一の前妻、歌手の森昌子。つまり、TakaとHiroの母親である。(画像は2016年にキングレコードより発売された、森昌子デビュー45周年記念アルバム『百年の恋歌〜時を超えて〜』のジャケット)

最先端ミュージシャンと画期的コラボ、森昌子の前に時代を代表するトップ女優と結婚

 そんな不幸な出来事を乗り越えて、森進一は1974年に歌手として新境地を開く。当時、フォークソングが最先端の音楽として若者を中心に人気を集めていたが、そのジャンルを代表するアーティストだった吉田拓郎に曲作りを依頼するのだ。

 こうして生まれた『襟裳岬』(作詞:岡本おさみ)は、時代を超えて歌い継がれるヒット曲となった。この年の大晦日に「日本レコード大賞」を受賞し、『紅白歌合戦』では自身初の大トリを務めた森進一は、当時の歌謡界の頂点に到達したといえるだろう。

 補足すればこの時代は、「日本レコード大賞」『紅白歌合戦』ともに注目度が今とは比較にならないほど高く、前者のテレビ中継(TBS系)は45.7%、後者に至っては74.8%という怪物的な視聴率を獲得していた(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)。2020年に放送された『第62回輝く!日本レコード大賞』の16.1%、『紅白歌合戦』後編の40.3%という数字と比べると、そのすさまじさは歴然としていよう。

 なお、現在でこそ石川さゆりを椎名林檎がプロデュースする、坂本冬美が桑田佳祐の楽曲を歌うといったケースはよく見られるが、70年代においては、演歌系歌手が他ジャンルのアーティストの曲を歌うことなど本当に珍しいことだった。その点において、森進一はパイオニア的存在なのである。やがて本人は、「僕が歌っているのは演歌ではない。流行歌です」といった発言をするようになっていく。

 そして、渡辺プロから独立後の1982年には、前年に『A LONG VACATION』がオリコン年間アルバムチャートで2位になったミュージシャン・大滝詠一が手掛けた『冬のリヴィエラ』を歌い、大ヒットさせる。ポップス系のこの楽曲は、当時の若い層にも支持された。

 時期は前後するが私生活では、32歳であった1980年に、当時33歳の女優・大原麗子と結婚している。大原は多くのテレビドラマに主演クラスで出演し、CMでも人気のトップ女優だった。ちなみに、2021年2月の時点で33歳のトップ女優といえば長澤まさみだが、当時の大原は少なくとも現在の長澤と同レベルのメジャーな人物だったことは間違いない。しかし、多忙な2人の結婚生活は長続きせず、1984年には離婚。見方を変えれば、この夫妻が長く円満な関係を続けていたら、TakaとHiroはこの世に生まれなかったことになる。

伝説的オーディション番組からデビュー第1号、山口百恵と並ぶ70年代のトップアイドルに

 一方、TakaとHiroの母親である森昌子は、森進一が生まれた11年後の1958年10月に生まれた。

 彼女は、中学生だった1971年に、放送開始されたばかりのオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)に出場している。『スター誕生!』は、近年の『ラストアイドル』(テレビ朝日系)、『Nizi Project』(Huluほか)のような、グループ結成を前提とし、そのメンバーを選抜するオーディションとは異なる。ポップス、フォーク、ロック、演歌などジャンルは問わず、あくまでソロデビューを目指した個人が評価され(デュエットでの出場者もいた)、決戦大会にて芸能プロ、レコード会社のスカウトマンから獲得の意思を表明された者のみがデビューできるという形式だった。

 のちに桜田淳子、山口百恵、片平なぎさ、岩崎宏美、ピンク・レディー、石野真子、柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜、松本明子らを輩出する同番組から最初にデビューした者こそ、森昌子だ。彼女は大手芸能プロ「ホリプロ」と契約し、1972年7月にファーストシングル『せんせい』をリリース。当時13歳と、平手友梨奈が最初に欅坂46のセンターを務めた年齢よりも若かった。『スター誕生!』のバックアップもあり、まだあどけなさも残る新人歌手はアイドル的な人気を獲得し、『せんせい』は50万枚の大ヒットとなった。

 その後『スター誕生!』は、1973年2月に番組史上最高の25社からスカウトを受けた桜田淳子を、同年7月に20社からのスカウトを受けた山口百恵を、それぞれアイドル歌手としてデビューさせている。桜田淳子はのちに松田聖子ら多くのアイドルを生む「サンミュージック」、山口百恵は森昌子と同じ「ホリプロ」の所属となる。

 同じ番組出身で同学年の昌子、淳子、百恵は、「花の中3トリオ」として売り出され、その相乗効果もあって70年代を代表する人気アイドルに成長していく。それぞれがソロ歌手であり、トリオで曲を出すことはなかったが、学年が変わるごとに「高1トリオ」「高2トリオ」と呼称を変えながら、そろって『花の高2トリオ 初恋時代』(1975年)という映画に主演する、合同コンサートを開催するなどした。なお3人のなかでは、デビューが早かった森昌子が常にセンターの扱いだった。

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1975(昭和50)年に東宝の配給で公開された映画『花の高2トリオ 初恋時代』。写真左より山口百恵、森昌子、桜田淳子。東宝、ホリプロダクション(現ホリプロ)、サンミュージックの提携作品であった。(画像はホリプロより発売のDVD版ジャケット)

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