ビジネスジャーナル > キャリアニュース > 仕事に情熱を注ぎ過ぎるのは危険
NEW
相原孝夫「仕事と会社の鉄則」

仕事に情熱を注ぎ過ぎるのは危険…会社と家族以外に人間関係がない人生は不幸になる

文=相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント
仕事に情熱を注ぎ過ぎるのは危険…会社と家族以外に人間関係がない人生は不幸になるの画像1
「Getty Images」より

 前回、「仕事に情熱を注げなくても問題ない」という話をした。仕事に情熱を注ぐこと自体、もちろん悪いわけではない。情熱を早く求め過ぎることが問題なのだ。また、徐々に情熱を注げるようになったとして、それが行き過ぎるとまた弊害が生じる点に注意する必要がある。仕事がアイデンティティのすべてになってしまうような場合だ。今回は、「仕事に情熱を注ぎ過ぎると危険」であるという点について述べたい。

 職場の幸福に関する専門家であるジェニファー・モス氏は、「仕事に情熱を傾けている人のほうが、些細なきっかけで燃え尽きるリスクがある」と警鐘を鳴らす。仕事がアイデンティティのすべてになってしまっているような場合、仕事で失敗をした場合など、それは即座に自己否定につながり、計り知れないダメージを受けてしまうことになりかねない。

 仕事以外の場も多様に持っている場合には、そのうちの一つである仕事において失敗があったとしても、さほどのダメージも受けることなく、やり過ごせるということがある。情熱を注げるものが他にあれば、仕事で失敗があっても、その情熱を注げるものに没頭することで緊張をほぐし、エネルギーを蓄えることも可能となる。

 最近のある研究によれば、私的な情熱と仕事が大きくかけ離れているとき、こうした好影響はいっそう大きくなるという。欧州では、仕事以外の活動に情熱を傾けている人が少なくない。ドイツでは、半分近くの人が仕事のあとの時間に少なくとも一つの団体に参加し、スポーツやガーデニングなどの活動をしているという。しかし、米国でも日本でも、趣味や仕事以外の活動を積極的に行っている人は少ない。

 不登校になってしまう場合、教室以外にも居場所があるから学校へ行かないのではなく、そこにしか居場所がないと感じて、気持ちが追い詰められてしまうから学校へ行けなくなるのだそうだ。教室以外に居場所があると感じられる生徒のほうが、かえって学校へも行きやすいのは、それだけ学校での人間関係の重さが相対的に減じられるからなのだ。

仕事がアイデンティティのすべてになってしまわないように

 しかも困ったことに、仕事が自分のアイデンティティのすべてになりやすい状況がある。それにより、好むと好まざるとにかかわらず、気づいた時には、仕事一辺倒の人生となってしまっている場合が多い。

 企業の中では、たくさん働くことは、昇進や昇給として報われることになる。日本企業では、こうした点をうまく使って、すべての従業員のモチベーションを維持し、場合によっては過剰労働を誘発してきたという面がある。同期の社員の中で評価にわずかな差を設けることで競争心を煽るような仕組みだ。同僚よりも少しでも早く昇進するために必死で働くようになる。そしていつの間にか、出世することが人生の目的であるかのようになってしまう。

 金融機関に勤めていて、体を壊したのをきっかけに転職をした友人は、「なぜそんなことに20年以上もの間、心血を注ぎ続けてきたのか、今となっては理解できない」と言う。魔法が解けたようなものなのだろう。内部にいる時には気づけない。それくらい、特定の文化に染まってしまうということは、個人に大きな影響を及ぼすものなのだ。もしその友人も体を壊して転職をしていなかったら、おそらくは定年退職後、あるいは役職定年後になってはじめて我に返ったのであろうと思う。

 また、世間の評価を気にすることで、仕事が人生の中心になりやすいという面もある。何か特別な才能があって、誰からも賞賛されるような人は一握りしかいない。しかし、誰もが承認欲求があり、自己顕示欲を持っている。誰からも認められなくても満足という人はあまりいないわけだ。進化心理学的に言えば、これらの欲求は、集団の中でより多くの子孫を残すうえで育まれていた感情といえる。

 特別な才能を有さない大多数の人たちが、そうした欲求を満たすためには、会社に入って仕事で頑張るしかない。名のある会社に入って、出世して、誇れる立場を得て、高給を得て、はじめて欲求は満たされる。しかも、こうした欲求はどんどんエスカレートする。もっと上の立場、もっと高い給料、もっと環境の良い住まい、もっと高価な車、と際限がない。いつしか、すべては家族のためだと自己正当化するようになる。

 仕事で多忙なことが、一種のステータスシンボルのようにさえなっている面がある。戦後の時代のモーレツ社員を美徳とする風潮が、いまだに残っているのかもしれない。仕事はほどほどに、いつも早く帰って趣味に精を出すような趣味人は、世間から評価されづらい。「立派な仕事をなされていますね」は明らかに誉め言葉だが、「立派な趣味をお持ちですね」は誉め言葉なのかどうか判然としない。私も、平日の昼間に映画館やスポーツジムへ行ったりすることに若干の躊躇を感じるが、それもやはりこうした感情からなのであろう。仕事をしているということは、生産活動に関わっているということであり、税金を納めているということであって、社会に貢献していることになるので、ある意味当然の感情かもしれない。

 私よりもさらに上の世代である、団塊の世代の人たちなどは、私服で会社へ行くということが、どうしてもできなかったらしい。それ以前に、平日に私服で家を出るということや、私服で電車に乗るということさえできなかったと、ある先輩は話してくれた。会社が設けたカジュアルデーにも、スーツは来て、ネクタイを外すというくらいが精いっぱいであったそうだ。仕事人であるという矜持なのであろうか。

 このような状況の中で、知らず知らずのうちに仕事一辺倒の人生となり、仕事が自分のアイデンティティのすべてとなってしまいやすい。気がついた時には、自己紹介をするのに、「〇〇会社で〇〇部長をしています」以外になにも出てこないというような状況となってしまっていたりする。悪い場合には、燃え尽きてしまうことにもなる。

人間関係が家族と社内に閉じている日本

 リクルートワークス研究所が、日本・アメリカ・フランス・デンマーク・中国の5カ国で、民間企業に雇用されて働く、最終学歴が大卒以上の30 代、40 代を対象とした、人間関係に関する調査結果がある(「5カ国リレーション調査」2020年)。どの国でも「家族・パートナー」「勤務先の同僚」が二大人間関係となっており、特に日本は、「家族・パートナー」が88.6%と高く、家族が社会関係の基盤になっている国といえるようだ。

「社外の仕事関係者」「以前の仕事仲間」を見ると、日本は他国よりも明らかに低く、労働市場の流動性が低いため、仕事の人間関係が社内に閉じてしまっていることが窺える。また、「一緒に学んだ仲間」「趣味やスポーツの仲間」「地域やボランティアの仲間」の割合も同様に低く、職場外の人間関係が広がっていないことがわかる。特に低く出ている、「地域やボランティアの仲間」については、教会が重要なコミュニティとなっている欧米諸国とは違って、日本や中国はそうした機会が少ないことが関係していると思われる。

 家族に次いで、職場が人間関係の核となっているが、ミドル男性が、最も長く仕事に時間を費やしているにもかかわらず、職場で十分な関係を構築できておらず、この点が、男女別・年齢階層別に見た場合にミドル男性でリレーションを持つ人が少なくなっている理由のようだ。

 ある企業の次世代経営人材のインタビューで、部長職5名に話を聞いた時のこと、「仕事以外に何か打ち込めるものをお持ちですか?」との問いに、5人中3人が「妻と山歩き」と答え、1人が「妻と食べ歩き」と答え、1人が「仕事以外には特にありません」との回答だった。夫婦仲がよろしいのはたいへん結構なことだが、活動の範囲が少々家庭に閉じ過ぎてはいないだろうか。「妻と山歩き」と答えた3人目の人の時には、思わず、同席していた人事部の担当者と顔を見合わせてしまった。

人生100年時代、何に情熱を注ぐか

 バブソン大学教授のロブ・クロス氏のチームは、仕事にのめり込み過ぎたことで燃え尽きてしまい、離婚に至るなど、人生を壊してしまった人たちと、そうはならなかった人たちを20年以上にわたり研究してきた。そして、この悪循環に陥らないグループが存在することに気がついた。仕事で高いパフォーマンスを示しつつ、ウェルビーイング(幸福度)も充実している人たちだ。

 そこで彼らに注目して、仕事で成功を収めつつ、幸福感のカギである人付き合いを維持する秘訣を調べることにした。まず、わかったのは、このタイプの人はほぼ例外なく、仕事以外で2~4つのグループで信頼のおける人間関係を維持してきたことだった。それはスポーツやボランティア活動のこともあれば、地域活動や宗教活動であったり、読書クラブやディナークラブだったりする。

 これとは対照的に、結婚を2回あるいは3回している人や、危機的なレベルまで不健康な人、あるいは自分にひたすら我慢してくれる子どもがいる人たちは、ほぼ例外なく仕事一筋の人生を送り、人生の成功を仕事の成功によってのみ定義していたという(出典:Do You Have a Life Outside of Work? May 13, 2020)。

 幸福感は、人との関わりを通じてもたらされるので、仕事を通して、どんどん人的ネットワークが拡充していくのならばまだ良いが、狭い範囲に限定されてしまうような場合は、幸福感が得られづらい状況となってしまう。さらには、もともとあった、学生時代の友人たちとの関係すらも維持できずに断ち切っていくような場合は、どんどん幸福感を犠牲にしていっているということになる。

 仕事以外の面での人づきあいからは、仕事上にはない刺激や情報が得られることが多い。私自身は週末は田舎暮らしをしているが、地元の仲間たちはやはり仕事上は出会うことのない種類の人たちだ。子供が中学校に通っていた頃には、部活動の関係で多くのパパ友たちとの付き合いもでき、多様な職業の人たちと付き合いを持つことで、多くの刺激を受け、たいへん有意義なものだった。

 仕事人生の中で仕事のみに没頭するような時期があってもいいとは思う。しかし、人生100年時代となり、退職後にあまりに長い年月が残されているということもある。アイデンティティが固定してしまわないうちに、ライスステージに合わせて柔軟に調整できることが望ましい。 

『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本がある。オーストラリア人で、緩和ケアの介護を長年つとめ、数多くの患者を看取った人が書いたものだ。多くの患者が、共通して口にする後悔をまとめた本で、26カ国語で翻訳され、世界中で読まれている。第1位が「他人に期待された人生ではなく、自分の心に忠実な人生を送る勇気があればよかった」であり、第2位が「そんなに働かなければよかった」であった。

 情熱を追いかけることが幸福感を高めるのは事実だが、どこでそれに取り組むかはそれほど重要でない、という研究結果が続々と報告されている。つまり、必ずしも仕事の場で情熱を追求する必要はないらしい。というより、いくつかの研究によれば、仕事以外の場で情熱を追求すると、キャリアと私生活の両方に好ましい影響があるようだ(出典:The Unexpected Benefits of Pursuing a Passion Outside of Work, November 19, 2019.)。

(文=相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント)

相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント

相原孝夫/HRアドバンテージ社長、人事・組織コンサルタント

早稲田大学大学院社会科学研究科博士前期課程修了。マーサージャパン副社長を経て現職。人材の評価、選抜、育成および組織開発に関わる企業支援を専門とする。著書に『コンピテンシー活用の実際』『会社人生は「評判」で決まる』『ハイパフォーマー 彼らの法則』『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』など多数。

株式会社HRアドバンテージ

仕事に情熱を注ぎ過ぎるのは危険…会社と家族以外に人間関係がない人生は不幸になるのページです。ビジネスジャーナルは、キャリア、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!