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仮に五輪が中止となったところで、政府のせいにできるため、小池氏にとっては自身のキャリアに傷がつくわけではありません。総理としては、相次ぐ不祥事を緩和する意味でも五輪は格好の舞台なわけで、2人の意思が一致する理由は見当たりません。とはいえ、元を辿れば菅総理と小池都知事の仲違いの理由は“私怨”ですからね。お互いに歩み寄って譲歩できないものか、と思ってしまいますよ」
開催or中止の決定が次の五輪にも影響
もっとも今回、開催/中止の決定がこれだけ遅れているのは、“ある大国”の存在が大きい、という見方もある。JOC関係者が、こう明かす。
「2022年の北京冬季五輪開催が予定されている中国との兼ね合いも大きいです。というのも、仮に東京五輪が中止となった場合、次の国際的な視線は中国での冬季開催に向かうわけです。東京が中止となった場合、北京の冬季開催もかなり厳しい状況に追い込まれます。もともと新型コロナウイルスが中国から世界に広がったわけで、日本よりも中国に対しては、見方がより厳しくなります。もはや東京の開催/中止の決定は、中国の動向も大きくかかわる時期に差し掛かってきています」
仮にこのまま五輪が強行された場合、どうなるのか。感染拡大が進むブラジル、世界最大の感染者数を出すアメリカ、いまだ厳しい状況にある欧州のなかには、必然的に不参加という選択を行う国も出てくる。満足に練習できる環境にないアスリートも少なくない。現状でも競技者の選考が完了していない競技も多くあり、時間的に考えても間に合わすことは困難だ。前出のJOC関係者が続ける。
「コロナの状況を鑑みると、欧州などから必ず不参加国は出てくるでしょう。その対応を日本はどうするのか。今後はそういった対応でも賛否が分かれるはずです。そして何より、競技者のなかでも満足がいくパフォーマンスができるかは不透明です。加えて問題なのは、五輪という“枷”でアスリートたちをしばり続けるという傲慢な思考です。アスリートへの敬意が欠けているということを、どれだけの政治家は理解しているでしょうか」
近代五輪の父とされるピエール・ド・クーベルタンは、五輪の意義について、このようなスピーチを述べたという。
「オリンピックの理想は人間をつくること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」
かつてこれだけ政治の歪みに翻弄された五輪があっただろうか。クーベルタンも草葉の陰で泣いていることだろう。
(文=中村俊明/スポーツジャーナリスト)