春水堂の幹部たちは日本進出に大反対だったが、オーナーだけが関谷氏を評価してくれている。そんな状況のまま、1年が経った。ダメ出しをされるばかりの日々だったが、決してくじけることはなかった。「春水堂を日本に進出させられるのは自分だけ」という想いが、それを支えた。
そんなあるとき、台湾での経営会議に呼ばれた関谷氏は、その前にオーナーと2人で話す機会を設けた。その場で、関谷氏はこう語った。
「100%上手くいくという保証は、確かにありません。でも、僕には誰にも負けない情熱があります。飲食の経験はありませんが、だからこそ誰よりも素直だ。そして、日本展開は息子さんと共同でやらせてくれませんか。息子さんは飲食のプロです。サポートしてくれたら心強い」
「ただ、僕には経営の経験は多少はあります。そして息子さんと僕とは年齢も近い。仲もよいし相性もよい。息子さんにとっても海外展開は新たな成長の機会になるはずです。わたしはそのベストパートナーになれる」(p.57,58より引用)
熱い言葉だった。「息子さん」とは、春水堂に通い始めて最初に仲良くなった男性店員のこと。実は、彼はオーナーの息子だったのだ。関谷氏の熱意は運と縁を引き寄せていた。
心強いパートナーと一緒にやりたい。その想いを関谷氏はまっすぐに伝えた。そして、最後にこう告げた。
「ゼロからの起業。タピオカミルクティーの開発。長い歴史のあるお茶文化に革命を起こした。オーナー、あなたは真の挑戦者です」(p.58より)
経営会議が始まり、関谷氏と組むことに反対の声が飛び交う中で、オーナーは決断をする。それは、関谷氏に任せてみるということだった。オーナーも周囲の反対を押し切って春水堂を立ち上げた。全力でやって失敗したなら、それもかまわない。そんな想いがあったのだろう。そして、関谷氏はオーナーの息子とともに日本での春水堂展開を進めることになった。
「絶対にうまくいかない」を乗り越えた先に
春水堂、日本上陸――。
そんな噂を知った一人の女性が、SNSで関谷氏にアクセスしてきた。彼女は世界的な経営コンサル会社の社員で、駐在していた台湾で春水堂愛に目覚め、いてもたってもいられずに関谷氏に連絡をしてきたのだった。
春水堂への想いを持つ2人は面会し、さっそく意気投合。話はどんどん進んでいき、いつしかどのように日本展開しようかという具体的なテーマに移っていた。関谷氏は、話せば話すほど、この人と一緒にやりたいという想いが強くなったという。そして、帰り際、意を決して彼女に「コンサルとしてではなく一緒にやらないか」と誘った。