【巨人軍の闇・湯口事件2】精神病院のベッドで謎の突然死…隠蔽体質と勝利至上主義の弊害の画像1
「読売巨人軍発祥の地」の碑(「Wikipedia」より)

 プロ野球のペナントレースが始まった。コロナ禍による観客数の制限はあるものの、プロ野球ファンが最も胸躍るのは、やはりこの時期なのかもしれない。しかし、私はプロ野球開幕の頃になると、大輪の花を咲かせることなく、華やかな表舞台から消えていった選手たちの姿を思い出さずにいられない。

 その一人が、精神科病院のベッドで謎の死を遂げた湯口敏彦。1970年11月、岐阜短大付属高校(現・岐阜第一高校)からドラフト1位で読売巨人軍に入団した左の豪腕である。

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「どうも頭がおかしいねん」――うつ病を患っての入院生活

 1972年11月23日。2年目の湯口はファン感謝デーで行われた紅白戦で滅多打ちにあい、川上哲治監督から「お前は2年間もムダメシを食っていたのか!」と叱責される。

 この日を境に、湯口の精神は一気に均衡を崩す。同日、彼は同僚と飲みに出かけ、寮に帰ることはなかった。朝方、帰寮したとき、中尾碩志2軍監督は烈火のごとく怒り、湯口に鉄拳制裁を加えたとも言われている。

 それから4日後の28日、巨人の納会が熱海のホテルで行われた。このときの湯口は虚ろな目を宙に遊ばせるだけで、誰の目からも異様に映ったという。湯口の1年後輩にあたる庄司智久は、こう証言している。

「そもそも納会の前から湯口さんの様子は変でした。僕が『そろそろ納会に出発しましょう』と寮の湯口さんの部屋の外で声をかけても、なんの返事もない。ドアを開けてみたら、ベッドに腰かけたままの湯口さんがいましたが、目の焦点がずれ、僕の方を見ようともしないんです。『どうしたんですか?』と声をかけても、『うん』とうなずくばかりで……」

 湯口はすぐに納会から連れ出されると、蒲田で旅館業を営む叔母のもとに引き取られた。岐阜県の白鳥町から駆けつけてきた父・昌範氏は、1年ぶりに見る息子の姿に愕然としたという。うなだれたまま、ゆっくりと首を振っている。目つきがぼんやりして、押し黙ったままだったが、やがてポツンと口にした。

「父ちゃん、俺、どうも頭がおかしいねん」

 翌29日、中尾2軍監督も同行して、昌範氏は息子を読売の診療所に連れていった。診断名はうつ病で、湯口はそのまま杉並区の精神科病院に入院した。当時、うつ病は今のような認知を得ていない。中尾2軍監督はマスコミ対策として、公から姿を消した湯口に関しては「風邪をこじらせたため」と口裏を合わせるよう、昌範氏に要請した。

 外部と遮断された入院生活の中、湯口は次第に落ち着きを取り戻していった。母親や弟の前では、笑顔さえ見せるようにもなった。が、父親と二人きりになると、何度も同じ言葉をつぶやいた。

「川上監督に悪いことをしてしまった……川上監督に……」

 それは、あたかも呪文のようだったという。

「風邪による長期離脱」で押し通す巨人

 病院から外泊許可を取った湯口は、1973年の正月を蒲田の叔母のもとで過ごすと、1月11日に新宿区の精神科病院に転院した。

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