ビジネスジャーナル > マネーニュース > 奨学金を批判する人への根本的疑問
NEW
午堂登紀雄「Drivin’ Your Life」

奨学金を批判する人への根本的疑問…底辺からでも這い上がれる素晴らしい救済制度だ

文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役
【この記事のキーワード】, , ,
奨学金を批判する人への根本的疑問…底辺からでも這い上がれる素晴らしい救済制度だの画像1
「Getty Images」より

 4月から晴れて社会人になる人のなかには、学生時代に借りた奨学金の返済が始まる人もいると思います。しかし昨今、奨学金が返済できずに苦しんでいる若者がいることで、「奨学金は悪質な学生ローンだ」「奨学金は貸与ではなく給付にすべきだ」などという論調を目にすることがあり、それが私にはどうにも腑に落ちず、奨学金制度について主観を論じたいと思います。

 私は旧日本育英会から借りた奨学金で、高校・大学へ進学しました。返済猶予制度を利用しましたから、総額約350万円を完済したのは確か40歳頃だったと思いますが、私に東京に出る機会を与えてくれた奨学金制度には感謝しています。だから私の場合、好意的なバイアスがあるのは確かです。

 もちろん、経済的に苦境に陥っている人もいて、奨学金を借りたことを後悔している人がいるのも事実でしょう。延滞を繰り返し、ブラックリスト入り(個人信用情報データベースに事故記録として記載される)してしまった人もいると思います。もしかしたら、お行儀の悪い督促担当者に遭ったという人もいるのかもしれません。世の中にはいろんな状況、いろんな立場の人がいますから、「これが正しい」とか「これが絶対だ」というわけではありません。

 しかし昨今、奨学金に関して世間の注目を集めるのは、こうした社会的弱者の存在を根拠に、奨学金悪玉論に傾きがちな世論です。私は、それは制度へのミスリードにつながると感じており、そうした主張に対して、「奨学金は社会に必要な救済制度である」ということを主張しておきたいのです。

「奨学金は借金だ」という意見がありますが、もちろん借金です。それをことさら「借金だ」とネガティブにいう人は、「奨学金はもらえるという前提」を持っているのではないでしょうか。奨学金には給付型と貸与型があり、前者はもらえるもの、後者は返済が必要です。「だったら教育ローンとか学資ローンという名前にしたほうがいい」という声もあるようですが、民間金融機関の教育ローンと区別するためにも、別に奨学金のままで問題ないと思います。

 奨学金はその名のとおり、学ぶことを奨励するための資金であり、そもそも最初から給付とか貸与とかが決まっているわけではないのですから。受け止める側の「奨学金ならもらえるべき」といった固定観念にすぎない印象です。

 そもそも奨学金のメリットは、

・保護者が低所得でも学業の機会が開かれる

・無担保で15年という長期間借りられる(保証人・連帯保証人は必要)

・無利子もしくは低利

・就学中は利払いすら不要

というもので、大盤振る舞いな好条件です。これがたとえば事業主の読者なら、「こんな条件で借りられるなんて、なんて優遇されてるんだ」と感じるはずです。

 そしてこれはほかの借金にもいえるのですが、最初から良い借金と悪い借金が決まっているわけではなく、良い借金にできる人と、悪い借金にしてしまう人の両方がいるというだけだと思います。

 たとえば私は借金をして不動産投資をしていますが、家賃収入から返済額を引いた残りが手取りとなって、私の収入を増やしてくれています。一方、新しい服やブランドバッグが欲しいからと借金すれば、返済は自分の収入の中からですから、生活が苦しくなります。

底辺からでも這い上がれるのが日本の素晴らしさ

 当時の私の状況を少し紹介します。私は父親の反対を押し切り、東京の大学に進学しようと高校は普通科を選択しましたから、学費の支援も仕送りもないと言われていました。だからすべて自分で捻出しなければならず、奨学金を借りることは大前提でした。それで無利子の第一種奨学金を借りられたのですが、当然ながら卒業後は返済が始まるという説明は受けました。母親からは「利息がつかないからちょっとオトクよ」と言われ、当時は利息はなんのことやらという感じでしたが、安いなら良かろうという程度の認識でした。

 学生時代はちょうどバブルの頃で、バイトの時給も高いし先輩たちも2桁の数の内定をもらっていましたから、このままなんとかなるだろうと思っていました。しかし私が就職活動を始める直前にバブルが崩壊し、就職氷河期第1号になってしまったのです。私は結局どこにも就職が決まらず、卒業式を迎えます。

 卒業後はフリーターとして、居酒屋やビル清掃のアルバイトで細々と食いつなぎました。

 だから奨学金の返済が始まる通知が来たときも、とても払えないと育英会に電話し、返済猶予制度で返済開始を遅らせてもらいました。

 その半年後くらいにようやく就職が決まったものの、ミスばかりして約1年後にクビ同然で追われるように辞めました。その後はコンビニエンスストア本部、外資戦略系コンサルを経て独立起業し、今に至ります。

 という感じで、底辺から這い上がった経験があるがゆえに、私には生存者バイアス(自分の特殊な経験や価値感を一般化しすぎる)が強いのも自覚しています。

 しかし、奨学金を悪という人には、やはり次のような疑問が湧いてくるのです。

奨学金を悪く言う人への疑問

(1)奨学金は借金であり、卒業後には返済が始まるという説明を受けたのではないか?

 大学の職員として勤務する私の友人曰く、奨学金は借金で返済があるということはしっかり説明しているということです。つまり、奨学金を借りる学生は、奨学金の返済は織り込み済みで学生時代を過ごし、就職し、返済をスタートさせると思うのです。

(2)借り過ぎかもしれないという自制は働かなかったのか?

 私の場合、自宅外・文系だったので、月々の受給額は5万4000円ぐらいだったと思いますが、学費が高い医学部や理工学系はもっと借りられるようです。何かの記事で、総額500~600万円借りて返済が苦しい人の事例を読んだことがありますが、それくらいの額になれば、確かに厳しそうです。むろん、私のようにバイトしないと生活できないという場合、生活費も含めて奨学金を借りられるだけ借りるというケースもあるかもしれませんが、金銭感覚の乏しい学生であっても、さすがにそれはビビる金額のような気がします。

(3)借金してまで進学する以上、元を取るべく学生時代に努力をしなかったのか?

 お金を借りて進学するとは、かなり覚悟が必要なはずです。では、自分はそもそも何のために進学するのか? 進学して何をするのか? 私もそこまで明確ではなかったものの、講義のほとんどがつまらないと感じてからは、公認会計士を目指していわゆるダブルスクールにいそしみました。その費用も分割払いで、さらに借金が増えてしまったわけですが、お金を借りた以上は当然ながらそれ以上の人間になろうともがいていました。

 私が進学した当時、いまから約30年前は、大学に行くことが選択肢を広げる方法でした。しかし今、大卒がそこまで価値ある学歴なのでしょうか。ただ周囲が進学するから、なんとなく大学に行くのが当たり前だから、メディアが高卒と大卒では生涯年収が違うと煽るから、などという理由に流されて大学に進学しても得られるものは多くないでしょう。

(4)奨学金の返済を加味した家計設計を考えなかったのか?

 たとえば東京での大卒初任給は、手取りで16~18万円くらいだと思いますが、スマホに月1万円以上使い、家賃が7~8万円もする部屋に住んでいる人がいます。そこに奨学金の返済が加われば、それはさすがに苦しいはず。だから本来は、収入に合わせて家計や生活構造を変えるはずです。自分の家計の収支すら見直せないとしたら、いったい大学で何を学んだのか。いくら勉強ができても、生活の知恵が回らないとしたら、なかなか大変だろうと思います。

 私が社会に出たての頃は携帯電話もスマホもありませんでしたが、いまなら格安SIMで月3000円程度でしょう。東京でも家賃3万円程度のアパートはたくさんあります。私も、駅から徒歩5分で家賃月5万5000円のアパートから、駅から徒歩20分で4万5000円のアパートに引っ越したのを覚えています。

(5)苦しいなら返済猶予制度を使わないのか?

 前述の通り奨学金には返済猶予制度がありますから、事情を説明すれば返済開始時期を遅らせてもらうことができます。私もそうしました。なのでもし家計が苦しいなら、その制度を利用すればよいのに、と思うのは自分だけでしょうか。

 奨学金の返済は、次の世代にバトンを渡すことだ、というのが私の考えです。先輩が苦労して返済した奨学金が、自分が進学する際の原資になっている。同時に自分が返済する奨学金が、次の世代が進学するための原資になる。しかし、もし今自分が苦しいからと、そのバトンを落としてしまったら、どうなるでしょうか。

 自分は先輩方のお金を使って進学していながら、世代間扶助のサイクルを自ら断ち切り、後輩が学ぶ機会を奪ってしまうかもしれないという身勝手さに、想像力を働かせたいと思います。

 という感じでちょっと辛辣な書き方になってしまいましたが、だからといって奨学金の返済ごときで、弱冠20代で人生に絶望しないでいただきたいと思います。なぜかというと、仮にいま25歳だとして、職業人生はあと40年もあるからです。20代はまだ周囲から教えてもらっている状態ですから、収入が低く生活が苦しくて当たり前。でもそれを乗り越え、30代、40代になり、仕事の実力がついてくれば、いくらでも挽回できます(と、私は希望を持つことを推奨しています)。

 時間軸を長く見据えて研鑽し、人生の後半戦を尻上がりで迎えられるほうが幸福度が高いということを、奨学金で進学した先輩からのお説教としたいと思います。

(文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役)

午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役

午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役

 1971年、岡山県瀬戸内市牛窓町生まれ。岡山県立岡山城東高等学校(第1期生)、中央大学経済学部国際経済学科卒。米国公認会計士。
 東京都内の会計事務所、コンビニエンスストアのミニストップ本部を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして勤務。
 2006年、不動産仲介を手掛ける株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。2008年、ビジネスパーソンを対象に、「話す」声をつくるためのボイストレーニングスクール「ビジヴォ」を秋葉原に開校。2015年に株式会社エデュビジョンとして法人化。不動産コンサルティングや教育関連事業などを手掛けつつ、個人投資家、ビジネス書作家、講演家としても活動している。

Twitter:@tokiogodo

奨学金を批判する人への根本的疑問…底辺からでも這い上がれる素晴らしい救済制度だのページです。ビジネスジャーナルは、マネー、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!

RANKING

11:30更新
  • マネー
  • ビジネス
  • 総合