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視聴率30%超え…“キックの鬼”沢村忠が引退後に姿を消した理由と真空飛び膝蹴り秘話

文=織田淳太郎/ノンフィクション作家

 制限速度も遵守していた沢村さんには、まったく非がない。それでも、沢村さんは「双方の不注意」として示談手続きの書類をその場で作成した。

 収まらないのは、私だった。相手ドライバーの不注意に憤り、さかんに悪態をついた。その私を穏やかに制しながら、沢村さんがソッと耳打ちしてきたのである。

「まあまあ、相手もまだ学生のようだし、あえて事を荒立てることもないから」

 このとき、私は「沢村忠」という不世出の大スターの素顔を初めて知った。

取材から芽生えた友人関係

 沢村さんが引退と同時に忽然と姿を消したのは、彼が生涯にわたって生きる指針としてきた「武士道」と無縁ではない。

「もう完全燃焼でした」

 と、沢村さんは振り返っている。

キックではマラソンの42.195キロを全力で走りきったような充実感というか、これ以上やるべきことは何もないという想いだけが残りました。武士道的な生き方に憧れてきた僕にとっては、その想いは最高の勲章だった。古臭いと思われるかもしれませんが、僕はその勲章をソッと置いておきたかったし、改めて引っ張り出す気にはなれなかったんです。だからこそ、僕は思い残すことのないキックの世界からスッパリと身を引き、次の人生をゼロからスタートさせようとした。当然、僕の足取りをめぐって、どんな噂が流れていたかも知ってましたよ。富士山麓の精神病棟で両手両足を鎖で繋がれて、ワンワンスタイルでご飯を食べているとか(笑)。でもね、何か言われるたびに目くじらを立てても大人げない。ですから、『武士の腹はひとつ』と心に決めて黙ってきたんです」

 人生を振り出しに戻した沢村さんは、かねてから興味のあった自動車エンジニアの道を目指し、4年間にわたる「月給13万円」の見習い工時代を経験した。その後は仲間と自動車整備工場を立ち上げ、私が初めて会った頃は、その仕事に没頭していた。

 取材する側と取材される側。沢村さんは、私とのこの関係を嫌った。「友だち」。これが、彼が私に求めた唯一の関係性だった。

 以来、私たちは私的なことで多く会うようになった。沢村さんが私の自宅に遊びに来たこともあれば、沢村さんも「現役時代から誰も招待したことのない」自宅に、私を3回ほど招待してくれた。

 私はそのたびに夫人の手料理をご馳走になったが、家の中にはかつての栄光を彷彿させるトロフィーや賞状などが一切見当たらなかった。夫人と1男2女のごくありふれた家庭。のちに歌手になった次女の玲子さんも、「父がキックのスター選手だったことは、中学校時代、友人に聞かされて、初めて知りました」と、私に語っている。

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