近藤真彦、思い上がり&凋落を生んだ「元恋人・中森明菜との金屏風会見」の真相の画像1
近藤真彦

 4月30日、近藤真彦ジャニーズ事務所退所が発表された。突然の出来事に、事務所の後輩である東山紀之は5月2日放送の『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)で「退所の仕方について大きな疑問が残る。後輩たちにもファンにも説明がなかったので」と釈然としない気持ちを語り、「マッチさんのために自分自身を犠牲にして助けてきたスタッフの方をたくさん知っているので、その人たちの思いをマッチさんはどう受け止めているのか。そのことを考えると、退所のコメントでもすごく薄っぺらく感じる」と痛烈に批判した。週刊誌記者が話す。

「近藤は昨年11月に5年におよぶ不倫が発覚し、謹慎していた。その期間が明けることもなく、逃げるように去ったことに東山も失望したのでしょう。合宿所で同じ釜の飯を食い、約40年の付き合いのある東山にすら伝えていないのは、驚きました」

 近藤は1979年に出演したドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)をきっかけに人気者となり、1980年に『スニーカーぶる~す』で歌手デビューし、いきなり100万枚を突破。ジャニーズ初のミリオンヒットを達成した後も、『ギンギラギンにさりげなく』『ケジメなさい』『愚か者』などヒット曲を連発。ヤンチャで男っぽいイメージも浸透し、ジャニーズの黄金時代を到来させた立役者の一人となった。

「当時からジャニーズのマスコミ統制や他事務所への牽制はありました。ジャニー喜多川氏の売れそうなタレントを見抜く力、メリー喜多川氏のメディアコントロールの手腕の両輪で、1980年代以降は『男性アイドルといえばジャニーズ』という方程式が出来上がりました。それでも、80年代は今と比べものにならないほどマスコミが力を持っていましたし、近藤もワイドショーに追いかけ回されていました」(同)

 近藤は中森明菜との交際が報道され、メディアは執拗に2人の関係を追った。結婚の噂も飛び交っていた1989年7月、明菜は近藤の自宅マンションで自殺未遂を図る。同年の大みそか、明菜の復帰会見に近藤も同席。2人の後ろには金屏風が飾られており、芸能リポーター陣は結婚報告かと勘違いしたが、近藤は「そういうことは、まったくありません」と否定した。

「騒動直後、明菜に同情する声が多く、近藤の芸能活動に影が射した。ジャニーズはいかに近藤のダメージを少なくするか考えた。結果的に、明菜は会見で自分の行動を『なんて愚かな……なんて馬鹿な』と振り返り、近藤のせいにはしなかった。この頃、明菜はデビューから所属していた研音を退所。『原因は近藤との仲だけではないんだな』と世間に考えさせる出来事でした。会見の日程や段取りなど含め、ジャニーズ側がすべて取り仕切ったという噂もありましたが、真相はわかりません」

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