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崇拝された「武田信玄の末裔」…青天を衝けの渋沢栄一も岩崎弥太郎も板垣退助も武田一族?

文=菊地浩之
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三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎も武田一族を自称しているが、家紋から考えると、武田家ではなく、小笠原家の流れと考えたほうが無難だ。(写真はWikipediaより)

渋沢栄一のライバル・岩崎弥太郎も武田一族を自称…確かに武田家の支流に「岩崎家」はあるが

 三菱財閥・三菱グループを創った岩崎弥太郎。弥太郎は渋沢栄一より5歳年長で、明治初年の日本を代表する事業家で、栄一とはまったく考え方が合わず、栄一のライバルだった。

 その岩崎弥太郎も武田一族を自称している。武田家の家祖・石和(いさわ)信光の子に七郎信隆がおり、甲斐国山梨郡岩崎村(山梨県甲州市勝沼町上岩崎・下岩崎)に住んで岩崎を名乗り、弥太郎はその末裔だというのだ。

 確かに武田家の支流に岩崎家はあるのだが、弥太郎がその子孫かといえば、それはまた別の話だ。岩崎家の家紋は「重ね三階菱」で、家紋から考えると、武田家ではなく、小笠原家の流れと考えたほうが無難だ。

 しかも、弥太郎が生まれた土佐(高知県)の隣国・阿波(徳島県)は三好長慶で有名な三好家がいる(昨年の大河ドラマ『麒麟がくる』で、三好の家臣・松永久秀[演:吉田鋼太郎]が三階菱の旗印をなびかせていたのを覚えている方が、ひょっとしたら、いるかもしれない――いないとは思うが)。三好家もまた小笠原家の子孫なのだ。

 ちなみに「三菱」のいわれは、岩崎家の家紋「三階菱」に由来している。岩崎家の主家・山内家の家紋「三つ柏」と「三階菱」を合成して作ったマークなのだ。

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岩崎家の家紋は「重ね三階菱」なので、小笠原家の流れと考えたほうが無難だ。大倉家はちゃっかり「五階菱」を変形させた家紋を使っているので、溝口家からもらったのだろう。

板垣退助も武田一族を自称し、戊辰戦争で甲府を制圧する際「武田一族」で人心収攬

 土佐といえば、自由民権運動で有名な板垣退助も武田一族の子孫を自称している。

 退助は旧名を乾退助正形(いぬい・たいすけ・まさかた)、土佐藩山内家の家老・乾家の分家に生まれた。乾家自体は土岐家の子孫を称し、武田一族とは関係がない。

 退助の家には伝説があり、その祖先は武田信玄の家老を務めた板垣信方(のぶかた。信形とも書く)の子・板垣正信で、正信が武田家滅亡後に京都で放浪中、乾家に拾われ、その養子となったというのだ。

 退助は戊辰戦争で土佐藩兵を率い、天才的な軍略家として各地で勝利を挙げた。その途中、幕府の天領・甲府を制圧するに当たって、「武田二十四将の一人・板垣信方の末裔」を名乗って板垣と改姓、人心収攬を図った。板垣信方は、跡部勝資と違って人気があったので、効果があったらしい(過去のNHK大河ドラマでは菅原文太(1988年『武田信玄』)や千葉真一(2007年『風林火山』)が演じており、器の大きな人物に描かれていることが多い)。

 ちなみに、明治維新後の高知市内は、いたるところで板垣派と岩崎派に分かれて派閥争いに明け暮れていたという。岩崎弥太郎の性格によるものなのか、武田一族の内輪揉め気質なのかは定かでない。

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自由民権運動の主導者・板垣退助も武田一族の子孫を自称。幕府の天領・甲府を制圧するに当たって、「武田二十四将の一人・板垣信方の末裔」を名乗って板垣と改姓、人心収攬を図ったという。(写真は1906(明治39)頃の本人/Wikipediaより)

(文=菊地浩之)

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●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)など多数。

 

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