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「偉人たちの診察室」第14回・孝明天皇

精神科医が語る“孝明天皇・毒殺説”…天然痘による病死?実際は岩倉具視がヒ素を盛った?

文=岩波 明/精神科医
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孝明天皇は35歳で崩御…“公式見解”では天然痘による病死とされるが、疑問も残る

 1867(慶応2)年12月、孝明天皇は在位21年にして崩御した。満35歳であった。死因は天然痘と診断されたが、他殺説も唱えられている。なぜならこの天皇の死は、討幕派に大きなはずみをつける歴史上の転換点となったからだ。

 同年12月11日、風邪気味であった孝明天皇は、宮中で執り行われた神事に医師たちが止めるのを押して参加したため、翌12月12日に発熱した。このため、天皇の主治医であった高階経由が診察して投薬を行ったが、13日になっても病状が好転しなかった。このため、他の医師も次々と召集され、昼夜詰めきりでの診察が行われた。

 12月16日、高階経由らが改めて診察した結果、天然痘に罹患している可能性が指摘された。このため天然痘の治療経験が豊富な小児科医を召集して診察に参加させた結果、さらに天然痘の疑いは強まり、翌17日に天皇が天然痘にかかったことを正式に発表した。

 天然痘は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症であり、当時は疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)とも呼ばれた。このウイルスはヒトに対して強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率は平均で約20%から50%と高く、治癒しても瘢痕を残すことが多い。

 天然痘は独特の症状と経過をたどり、古い時代の文献からもその存在が確認されている。一般的な経過としては、40度前後の高熱、頭痛などの初期症状がみられたのちに、頭部、顔面を中心に皮膚色と同じまたはやや白色の豆粒状の丘疹が生じ、全身に広がっていく。

 発症して7〜9日目に再度40度以上の高熱になる。同時期に発疹が化膿して膿疱となるが、この病変は呼吸器・消化器などの内臓にも同じように現れ、呼吸困難等を併発し、死に至ることもある。一方で、2〜3週目には膿疱は瘢痕を残して治癒に向かうことも多い。

 日本においては、渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初の流行がみられたと考えられている。『日本書紀』にも、天然痘と思われる記載がある。735年から738年にかけては、西日本から畿内にかけて天然痘は大流行し、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した。

 その後も天然痘は何度も大流行を重ねて江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となった。源実朝、豊臣秀頼、吉田松陰、夏目漱石らもこの疾患に罹患し、顔にあばたを残している。

 さて12月17日以降、天皇の拝診資格を持つ医師らにより、24時間体制での治療が始まり、病状はいったんは回復したように思われた。当時の記録には、「昨日からお召し上がり物も相当あり、お通じもよろしい」などと記載されている。

 ところが12月25日になって容態が急変した。下痢がひんぱんになり吐き気が強く、高熱が出た。意識がもうろうとして顔面に紫色の斑点がみられ、下血も持続しやがて出血は全身に及び、この日の夜に、孝明天皇は死去した。天皇の崩御の事実は秘され、公にされたのは12月29日になってからのことだった。

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