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「偉人たちの診察室」第14回・孝明天皇

精神科医が語る“孝明天皇・毒殺説”…天然痘による病死?実際は岩倉具視がヒ素を盛った?

文=岩波 明/精神科医
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幕末・明治前期の政治家で、明治維新の立役者のひとりである岩倉具視。孝明天皇の最期の病状から毒殺の可能性があるとして、倒幕の急先鋒だった岩倉が暗殺の主犯と考えられた。(写真はWikipediaより)

「孝明天皇は岩倉具視によってヒ素で毒殺された」なる根強く残る“暗殺説”

 生前の孝明天皇は壮健で痔疾患以外に持病はなく、周囲の人たちにとってこのような急激な病気の発症と死去はまったくの驚きだった。さらに全身状態が回復しつつあるなかでの突然の死は周囲に疑惑を抱かせることとなり、当時より毒殺の噂は絶えなかった。

 明治維新を経て、皇室に関する疑惑やスキャンダルはタブーとなったが、孝明天皇の暗殺の噂は囁かれ続けていた。暗殺の主犯とされたのは、明治維新の立役者のひとりである公家の岩倉具視だった。

 岩倉が疑われたのは、朝廷のなかにおいて倒幕の急先鋒だったためである。これに対して孝明天皇は、幕府の打倒はまったく考えておらず、公武合体の推進者だった。岩倉は下級公家の出身であったが、幕末維新において朝廷側の中心人物として動き、新政府でも要職を占めている。暗殺の件については、強く否定している。

 1940年7月には、日本医史学会関西支部大会の席上において、京都の産婦人科医の佐伯理一郎が「天皇が痘瘡に罹患した機会を捉え、岩倉具視がその妹の女官である堀河紀子を操り、天皇に毒を盛った」という発表を行った。

 戦後になると、歴史学者である禰津正志(ねず・まさし)は、天皇が順調に回復の道をたどっていたところが、一転急変して崩御したことから、その最期の病状からヒ素による毒殺の可能性を推定し、やはり岩倉首謀説を唱えた。

 一方、毒殺説に対する反論もみられている。1989年と1990年に、当時名城大学商学部教授であった原口清が、「孝明天皇の死因について」「孝明天皇は毒殺されたのか」というタイトルの論文を発表した。

 この論文のなかでは、これまでの毒殺説で示されていた「順調な回復の途上での急変」という構図は成立しないと述べ、孝明天皇は紫斑性痘瘡によって崩御したのだと結論している。

 孝明天皇毒殺説はさらにスケールの大きい陰謀説に発展し、睦仁親王暗殺説(睦仁は明治天皇の諱)も唱えられている。つまり明治天皇は睦仁親王に成り代わった別人(大室寅之祐なる人物)なのだという説である。大室は南朝の末裔であるとされたが、そこに納得のいく根拠は示されていない。

 歴史作家の中村彰彦は、孝明天皇の死について、過去の文献を網羅して詳細な検討を行っている(中村彰彦『幕末維新史の定説を斬る』講談社文庫)。このなかで中村は、病死説は元来『孝明天皇記』など公式の記録に記載されているものであったことを指摘し、前述の原口の論文など多くの資料を再検討している。

 この結果、天皇は天然痘の発症後、この病気の一般的な症状経過を示した後に順調に回復し、12月24日の午後には旺盛な食欲を示すまで回復している。ところが25日に容態は急変し、下痢と嘔吐に加えて全身から出血がみられて死に至った。これらのことから中村は、やはり孝明天皇はヒ素などの毒物により殺害された可能性が高いことを指摘している。実際、急変した天皇のその後の経過は、急性ヒ素中毒による経過とほぼ一致しているという。

 ヒ素は古来より知られている毒物であり、農薬などに用いられたが、医薬品として使用されたこともあった。その一方で、入手が容易であり、海外では遺産相続のための殺人などに利用されることも多かった。ルネサンス時代にはローマ教皇アレクサンデル6世と息子チェーザレ・ボルジアは、ヒ素入りのワインによって、次々と政敵を殺害した。

 ヒ素を服用した際には、吐き気、嘔吐、下痢、腹痛などがみられ、ショック状態となり多臓器不全により死亡することもある。最近の事件としては、「和歌山毒物カレー事件」においてヒ素が毒物として用いられた。この事件では、地区の夏祭りで提供されたカレーライスにヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒になり、うち4人が死亡している。

 孝明天皇の毒殺の首謀者と考えられるのは岩倉であるが、当時の岩倉は御所からは遠ざけられていたため、直接手を下した犯人は岩倉の同士であった宮廷内の「討幕派」の女官であったと推察されている。

公家である岩倉具視が、“主上殺し”という大罪を犯すのか

 あらためて検討を行ってみても、孝明天皇の毒殺説は、状況証拠的に“リーズナブル”である。ただし前述したように主犯とされた岩倉は蟄居中であり、完全なアリバイがあった。そうなると宮廷に共犯者がいたことになるが、特定はされていない。

 孝明天皇の死をきっかけにして時代は大きく動き、倒幕運動は激しくなり、戊辰戦争から新政府樹立へと突き進んだ。天皇の死によって利益を得たのは、明らかに長州・薩摩の志士たちと岩倉ら、討幕派の公家であった。

 しかし一方で、岩倉のような公家が主上殺しという大罪を犯すのであろうかという疑問も残る。この点については、回を改めてまた検討したい。

(文=岩波 明/精神科医)

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●岩波 明(いわなみ・あきら)
1959年、神奈川県生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。都立松沢病院などで精神科の診療に当たり、現在、昭和大学医学部精神医学講座教授にして、昭和大学附属烏山病院の院長も兼務。近著に、『精神鑑定はなぜ間違えるのか?~再考 昭和・平成の凶悪犯罪~』(光文社新書)、『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春新書インテリジェンス)、共著に『おとなの発達障害 診断・治療・支援の最前線』(光文社新書)などがあり、精神科医療における現場の実態や問題点を発信し続けている。

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