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ショパンコンクールで51年ぶり快挙…反田恭平さんの日本人離れした力強い音の源

文=篠崎靖男/指揮者
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 第一次世界大戦を経て独立を果たしたポーランドにおいて、ショパンがピアノ協奏曲を初演した約100年後、ピアノコンクールというかたちでポーランドの英雄は里帰りを果たしたのです。これが、ショパン・コンクールが単なるピアノのコンクールではなく、ポーランド独立を記念する特別な存在として今もなお、ポーランド人に特別に思われている大きな理由だと思います。

反田恭平さんが表現した新しいショパンの可能性

 ところで、ショパンはポーランドを離れたあと、パリで大人気となり、数々の珠玉のピアノ曲を作曲していますが、ピアノ協奏曲を作曲することはありませんでした。ですから、2曲あるピアノ協奏曲は、ポーランドにいた若きショパンの貴重な作品です。その2曲のなかでも、ポーランドの強い悲しみを表現したような出だしを持った「ピアノ協奏曲第1番」を、反田さんは素晴らしく演奏して見事に第2位を獲得しました。演奏前、指揮者に対して日本人らしく礼儀正しく頭を下げてから始めたのも印象的でした。

 反田さんは、なんと高校3年生の時に日本音楽コンクールに優勝。しかも、本選前にもかかわらず、桐朋学園の学園祭の準備もやり続けていたという破格の人物です。その後、ロシアに留学し、ピアノを弾くだけでなく、欧米のピアニストの体格に負けないように体を鍛えていたというのも、ほかでは聞いたことがありません。高校生時代は、どちらかといえば華奢な体格だった反田さんですが、今回のコンクールでは、がっちりとした体格から日本人離れした力強い音でショパンのピアノ協奏曲を見事に引き切りました。どちらかといえば繊細な演奏のイメージが強いショパンの作品のなか、反田さんの演奏は新しいショパンの可能性を見た気がしました。

 彼はジムで体を鍛えたり、ピアニストの命でもある指の怪我のリスクまで負いながらボクシングジムにまで通っているそうです。彼の留学先でもあるロシアのピアニストは、体格も大きく、僕も何度もロシア人ピアニストと共演していますが、「ピアノが壊れてしまうのではないか」と思うほど大きな音量で、こちらを圧倒してきます。

 小さな音は、訓練さえすれば出すことはできますが、大きな音は生まれ持った体格が必要となります。欧米人に比べて体格が劣る日本人にもかかわらず、そこから逃げることなく、まっすぐに向き合って自分改造をした反田さん。そんな彼が奏でるショパンは、作曲家の若く力強い情熱と繊細な感性の両方を兼ね備えたような、天才的な素晴らしい演奏で、僕も心から感動しました。第4位の小林愛実さんも含めて、早く共演してみたいと思いました。

(文=篠崎靖男/指揮者)

ショパンコンクールで51年ぶり快挙…反田恭平さんの日本人離れした力強い音の源の画像2●篠﨑靖男
 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。エガミ・アートオフィス所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

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