
2014年の大みそか。私は10歳下の弟とともに『第65回紅白歌合戦』(NHK)を観ていた。「みんなで歌おう!『アナと雪の女王』」というコーナーで神田沙也加さんが熱唱する姿を目にした弟は、「この子って、もはや“松田聖子の娘”ではないよなぁ」とつぶやいた。磨きがかかった彼女の「本物の芸」に魅せられていたのだ。
そのときから、弟はテレビやYouTubeで神田さんに注目していた。弟が好きな芸能人は、お笑い界ではビートたけしやダウンタウン、中川家。歌謡界では北島三郎や坂本冬美などの“本物”であり“個性派”である。弟は、彼らに通じるような雰囲気を神田さんにも感じていたのだろう。
それから3年後、仕事が原因で精神を患った弟は心療内科に通い続け、通院から半年後、自ら命を絶った。「苦しくて苦しくて仕方がないんだ。ごめん兄貴。愛してるよ」という遺書を読み、亡骸を見ながら、これ以上ないほど泣いた。あんなに悲しかったことは、55年の人生でも初めてだった。
「こちらこそお世話になりました!」
数ある死のうち、もっとも遺族を悲しませるのが急死だ。心の準備ができないため、私も弟の突然の訃報を聞いてパニック状態になった。「5歳と3歳の娘を遺して、何をしているんだ!」と亡骸に叫んだほどである。
しかし、同時に、彼が死を選んだ理由もわからないではなかった。仕事先で上司から何度も朝令暮改を浴びせられていたからだ。死に至る前には、1年かけて作った資料を1カ月で修正せよ、という命令を下されていた。上司の命で作成したにもかかわらず、半年はかかる作業を1カ月でやれ、というわけだ。
元気な頃なら「しょうがねぇなぁ」と適当にでも作業しただろうが、当時の弟は精神的に余裕がなくなっていた。心療内科で与えられた薬を服用していたが、食欲がなく、眠れなくなっていた。異変を感じていた私は、週に一度、弟の自宅に通って元気づけたが、会うたびに顔がやせ細っていた。
そして、胸の鼓動が鳴りやまなくなった弟は「どうしたらいいかわからない」と、出勤が5時間後に迫った月曜日の午前3時に自ら首を吊った。
神田さんの訃報を聞き、私は弟の死を思い出した。弟は、仕事に対してものすごくまじめだった。神田さんの人物像について、芸能記者はこう語る。
「うちの社の別部門の人間が取材でお世話になり、お礼のあいさつをしたことがあるんだけど、『こちらこそお世話になりました!』って明るく返事をくれて。すごくまじめで、礼儀正しかった」
神田さんは、死の直前に父である正輝さんに誕生日を祝う電話を入れていたという。私の弟も、亡くなる3日前に電話で私の誕生日を祝ってくれた。
いずれにせよ、年下の肉親の急死ほど悲しいことはない。今はただ、神田沙也加さんのご冥福を祈るばかりだ。
(文=本庄正彦/ライター)
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