NEW
篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

新年はクラシックでお祝い!ウィーン・フィルのコンサート、締めの2曲が最高!

文=篠崎靖男/指揮者

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート、締めはヨハン・シュトラウス親子

 このニューイヤーコンサートは変わった演奏会で、プログラムはモーツァルトやベートーヴェンではなく、ほとんどがウィーンのワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世のワルツやポルカ、19世紀に大ブームを起こしたダンス音楽です。ヨハンは自分専属のオーケストラの前で自らもヴァイオリンで演奏しながら指揮をするスタイルによって当時のウィーンの寵児となりましたが、音楽家になるまでは同じく人気作曲家であった父親(ヨハン・シュトラウス1世)のせいでとても苦労しました。

 父親も自分の楽団を持っているくらい大スターでしたが、子供に音楽をさせることには大反対でした。自分も音楽家だけに、成功よりも失敗する音楽家のほうが遙かに多いことをわかっていたからです。それだけではなく、暴力も振るうほどかんしゃく持ちで、ヨハンがこっそりと弾いていたヴァイオリンを奪い取って、たたき壊すほどでした。

 そんななか、ヨハンに転機が訪れます。それは、父親が女好きだったことが原因でした。父親が若い愛人をつくり、お金を家にも入れずに愛人の家に入り浸ってしまったのです。そうしてヨハンは自由になりました。しかも、母親のアンナは、家に帰らない夫にメラメラと復讐心を持ち、息子ヨハンにヴァイオリンを買い与えて、夫を超える音楽家として育て上げようとしたのです。

 父親が家に帰ってこないのをいいことに、音楽家としての正統教育をしっかりと受けて成長したヨハンがデビューすることになりました。父親も、数々の素晴らしいワルツやポルカを作曲しましたが、基本的にはダンスホールの音楽です。当時のウィーンのダンスホールでは、着飾った紳士淑女が礼節をわきまえながら、お互いに体を触れ合うこともなく優雅に踊るこれまでのスタイルではなく、相手の腰に手を当てて密着し、くるくると回りながら激しく踊る新しいスタイルが大受けしていたのです。“19世紀版チークダンス”のような雰囲気もあったのだと思います。

 父親は、そんなダンスホールを独占状態でした。そして、あらゆる手を使って、新しいライバルになりかねない息子の邪魔をします。仕事場になる飲食店に圧力をかけたり、楽員には息子の下で演奏しないように言いつけたり、なんとデビュー前の息子の中傷記事を新聞に書くように画策までするのです。

RANKING

23:30更新
  • 連載
  • ビジネス
  • 総合