名門・開成高校出身ながら3度も東大受験に失敗、結局“諦めた”岸田文雄首相
「少年の気持ちはわからないでもない」――そう語る墨田区議会議員の佐藤篤さんは、中高一貫の進学校で、東大合格者が多いことで知られる麻布高校の出身だ。
「東大を受験するとか、医学部を受けるとか、まわりにはそういう生徒が多くて、それが当たり前になっていた」
佐藤さんも、当然のように東大を志望した。夢は政治家。中学2年生の時に、麻布高校の先輩の橋本龍太郎氏が首相となり、母校で講演を行ったのがきっかけだった。講演を聞いて大いに刺激を受けた佐藤さんは、「政治家になって社会の矛盾や理不尽を正したい」と思うようになった。
法律や政治を学ぶために、東大法学部を目指すこととした。法学部への登竜門である文科一類は、文化系で最も偏差値が高い超難関。佐藤さんは現役で東大を受験したが失敗。1年浪人し、勉強漬けの日々を送った後の2回目は、センター試験に失敗し、いわゆる「足切り」の対象となった。2次試験まで進めば、模擬試験で全国上位をとった論文の科目もあったのだが、その力を発揮する機会が失われた。
「落胆しました。本当にがっかりした」と佐藤さん。今になって振り返れば、受験の失敗も人生の出来事のひとつとして受け止められ、自分の糧となったと考えられるが、当時はとてもそんな余裕はなかった。
「その時は、受験が人生のすべて、ですから。この頃の自分を思い起こすと、事件を起こした少年の気持ちはわからないではないんです。私の場合は、人を殺めようとか、自殺しようとまでは思いませんでしたが、『自分はもう終わった』『(この世から)消えてなくなってしまいたい』という感情に支配されていた。視野が狭かったんでしょう。でも、受験に失敗してそんな気持ちになる人は、結構多いのではないかな」
A少年も、東大受験が当たり前のような環境のなかで、自分の成績が合格圏から外れているのを知って、自分の人生が終わったような気持ちになり、それがどんどん煮詰まっていったのだろうか。
佐藤さんの場合、気持ちが煮詰まる前に、親友のこんな言葉が視野を広げてくれた、という。
「お前の夢は東大だったのか? 大学は、あくまで通過点だろう? 法律や政治を勉強するためだろう? 政治家になりたい、というお前の夢は、東大に落ちたからといって、揺らぐことはないんじゃないか」
これを聞いて、佐藤さんは「ここで腐っていてはダメだ」と思い直した。
「親友は、私のプライドを傷つけないよう言葉を選びながら、東大がすべてのような価値観から解き放ってくれた。これは、友だちの言葉だったからよかったんだと思います。親から同じことを言われていたら、たぶん反発していた。学校の先生に言われても、心に響かなかったと思います」
その後、佐藤さんは、早稲田大学政治経済学部に進学。2011年に、最年少の25歳で墨田区議に初当選し、政治家になる夢を実現した。2019年の選挙ではトップ当選を果たし、現在3期目だ。家庭では2児に恵まれている。
佐藤さんは、A少年や受験生たちに、こう語りかける。
「今、私はとても幸せです。(不合格の)心の傷も時が解決する。受験がうまくいかなくても、幸せに生きられる、と知ってほしい。岸田(文雄)首相も、東大受験に3回も失敗したじゃないですか」
岸田氏は、やはり東大合格者が多いことで有名な開成高校の出身。しかも、父親も叔父も叔母の夫もいとこも、東大から官僚に進んでおり、男は東大に進むのが当たり前、という家庭に育った。著書『岸田ビジョン 分断から協調へ』(講談社+α新書)によれば、岸田氏の親族や先輩、友人は、趣味を持ち、運動にも励み、勉強だけに集中していたわけではないのに、次々に合格していた。
「みんな東大だから」自分も入れるはず、と思っていたのに、合格発表の掲示板に自分の名前がない。その時の心境を、岸田氏は同書のなかで次のように綴っている。
〈一度目は東大のある本郷三丁目駅から自宅まで、なぜだろう、という思いが頭の中に渦巻き、どうやって帰宅したのかも覚えていないほどでした。二度目の失敗では、自分の人生について、俺に価値はあるのか、などと答えの出ない問いに煩悶しながら帰宅したような気がします。しかし、三度目の失敗の時は「これでやっと終われる」とむしろほっとしていました。「仕方ない。東大とは縁がなかった」と割り切っていたのかもしれません〉
そして岸田氏は、早稲田大学法学部に進学。3度の東大受験失敗に、父親は落胆したようだったが、それを表に出さず、「早稲田でよい友だちをつくって見聞を広めろ」と励ましてくれた、という。
東大に3度落ち、2020年の総裁選にも大敗し、一度は「岸田は終わった」とまで言われた同氏が、日本の権力構造のトップである内閣総理大臣に選出されたのは昨年10月。A少年は、この時のニュースをどう聞いたのだろうか。