ビジネスパーソン向け人気連載|ビジネスジャーナル/Business Journal
実は、これは本当のハンガリーの音楽ではなく、ドイツ人のブラームスが“ハンガリー風”に書いた曲ですが、今ではハンガリーのオーケストラの日本公演にてアンコールで演奏するほど、ハンガリーの曲として認知されています。日本選手団がロシア音楽、アメリカ選手団がイギリス音楽で入場するなか、ハンガリーだけはドンピシャで、その後、ハンガリー舞曲はフィンランド選手団の入場まで続きました。
ところが、これもまたドンピシャだったのです。というのは、ハンガリーとフィンランドは同じルーツを持った民族だからです。もともと、ハンガリー人はウラル山脈の西側に住んでいたウゴル語族のマジャール人で、中央アジアの蛮族であるフン族に追われてハンガリーに行き着いた民族です。一方のフィンランド人もルーツはウゴル語族で、同じ言語グループなのです。
もちろん、この遠く離れた両国の人々同士が、現在、お互いの言語で話してもまったく通じませんが、今もなお文法の共通点は存在するそうです。何よりも、両国ともに他のヨーロッパの国々とはまったく違う言語です。国名のハンガリーの「ハン」と、フィンランドの「フィン」は音も似ていますし、もともとは同じ意味だという説もあるそうです。
『イマジン』や『第九』、音楽を使って中国をアピール
さて、そんな偶然も重なった選手入場、そして開会宣言ののちに流れたのは、なんとジョン・レノン作曲、オノ・ヨーコ作詞の『イマジン』であることも話題になっています。
「国家や宗教や所有欲によって起こる対立は無意味なものであり、この曲のユートピア世界を思い描けば世界は変わる」というオノ・ヨーコの詩は、人類愛や平和の歌として、今もなお世界中の多くの人に愛されています。一方で、共産主義的だという批判も存在し、湾岸戦争の際にはイギリスBBC(英国公共放送)が放送を規制したこともある、いわく付きの曲です。
しかし、今回はそんなことは関係なく、平和のメッセージとしてオリンピック精神を表現するために効果抜群でした。
そして開会式もクライマックスを迎え、オリンピック旗が入場する時に流れたのは、ベートーヴェンの『第九』、すなわち「歓喜の歌」です。僕は感心してしまいました。歌詞は「これまで隔ててきたものを再び結び合わせ、すべての人々が仲間になる」という、オリンピック精神にぴったりの内容です。1998年の長野オリンピックの開会式の際にも、世界的指揮者・小澤征爾氏の指揮により生演奏された曲で、『第九』とオリンピックはそのポリシーが同じなので、相性が良いのだと思います。
それに続くオリンピック旗掲揚の際には子供の合唱団が再登場し、オリンピック発祥のギリシャ語でオリンピック賛歌を斉唱。冬の透明感に徐々に戻していくのも、時間を計算した映画監督のイーモウ氏ならではの見事な演出でしょう。
今回の開会式は、中国自体をあまり押し出さずに、むしろ音楽を使って中国をアピールするような内容だと思いました。
最後の聖火も、参加国の名前が入った雪の結晶にトーチをそのままはめ込むという、これまでのオリンピックには無かった発想です。実況していたNHKアナウンサーが、「冷たさの中に熱いものを感じる」と、その強い印象を的確に話していたことにも感心しました。最初から最後まで光と音楽を計算し尽くし、観客を飽きさせることなく、あっという間に見せた素晴らしい開会式でした。
(文=篠崎靖男/指揮者)