ANA、CAが勤務中に死亡、連続6日の過酷労働…病歴申告も無視、国際線勤務に編入
御用化前の組合の役員立候補で冷遇か、ANA独自の評価制度での約 30年間でストレス
今回の105便の事件を考える上で、Tさん固有の背景についても書いておかねばなるまい。
Tさんは1990年ごろ、全日空労働組合の役員に立候補したことがある。本サイトではANAの国際線就航が始まった1986年以降、労働組合の御用化が急速に進んだことを指摘したが、その最中、Tさんは職場改善のために積極的に意見を出し、CAの取りまとめをするなどしていたため、目をつけられてしまった。労働組合役員に対する不当な扱いは日本社会では少なくないが、Tさんの場合はあまりに露骨だった。
まず、勤続35年の間、昇進がまったくできなかった。客室責任者のCPの資格を持ちながら、20年以上そのポジションに就かせてもらえなかった。105便に搭乗した際は、なんと勤続5年のCAよりも下位のポジションに置かれるほど冷遇されていた。
ANA独自の人事評価制度で「Tさんは同僚から距離」、105便の初動対応遅れの要因か
さらに、これにANA独自の人事評価制度がTさんを追い詰めた。この制度は前出連載で問題点を指摘した通り、評価基準が「日本らしいおもてなしの心を感じる対応ができる」「安心感や新鮮さを感じるサービスができる」といった客観性や透明性に欠けるものであり、すべての評価結果が新人もベテランも例外なく、社員番号と氏名とともにフライトメンバー表に表示されるという「見せしめ」的な性格も強いものだ。
Tさんの場合、勤続年数が長いにもかかわらずCAとしての地位が低かったため、「新人からも低く見られたり、ワケアリな人だと距離を置かれたりしていた。御用化前の組合で役員をしていたベテランCAには、毎回のフライトで“監視役”のCAがついており、Tさんも監視されていたのではないか」(Tさんをよく知るCA)。
そうしたプレッシャーのなか、もし同僚からのフォローが得られず孤立した状態でフライト勤務に当たっていたのだとすれば、それはTさんにとって過酷な労働環境だっただろう。105便でTさんへの初動対応が遅れた理由について先のCAは、「いじめられている人が困っていても、手を差し伸べたら自分までいじめられるのではないかという心理が働いたのではないか」と語る。
なお、欧米の外国航空会社ではCAは経験が重視され、緊急時の指揮順位が勤続年数によって決まる。ANAのような基準が主観的で不明確な評価制度についても、チームワークを阻害し人権侵害的でもあることを理由に導入しているところはないという。
Tさんは優秀なCAだったが、人事面談で常に業績を否定
Tさんは優秀なCAだった。今、筆者の手元にはTさんに乗客から寄せられた感謝の言葉が書かれたカード(上写真)やお礼状などが多数ある。TさんはANAの羽田の全CAのなかで機内販売が年間2位になったこともあるといい、後輩にアドバイスを求められれば親切に対応した。筆者は同乗したCAからも「真面目で仕事熱心だった」との証言を得ており、ANAが30年にもわたり下してきた人事評価は不当だと考えられる。
ANAが国際線拡大を本格化、がん病歴と脳動脈瘤を申告も強制編入
Tさんを死に追い込んだもう一つの大きな要因は、ANAが国際線の拡大化路線を本格化した14年4月からの国内線と国際線の混合勤務シフト(マルチ勤務)への編入だった。
Tさんはマルチ勤務になる際に医師(脳神経外科と乳腺外科の担当医)の意見書を会社に提出して回避しようとしたが、昇進できず人事上の階級が低いままだったため、拒否する権利がなかった。強制的に編入された後も、上司に何度も面談を申し込み、改善を懇願したが、希望が聞き入れられることはなかった。
ある日の面談の録音によると、上司がTさんが昇進できない理由を「丁寧さにかける」「話し方が朴訥」などと抽象的にしか答えず、まともにTさんの話を聞く素振りもないように感じられた。一方的にTさんに問題があるかのような言い振りで、こういう面談がずっと続いていたとすれば、精神的苦痛は相当なものだったと推測される。