ANA、CAが勤務中に死亡、連続6日の過酷労働…病歴申告も無視、国際線勤務に編入
国内線を連続2日フライトした後に、国際線で1泊4日のLA便、さらに定期緊急訓練という勤務状況で疲労を蓄積
ANAではコロナ禍の現在でも国内線で1日4便の「8時間を超える勤務でもほぼ休憩時間がなく、食事も10分で済ませなくてはいけない」(同社CA)という過酷な勤務シフトが組まれていることは、すでに本サイトで報じた。Tさんも長時間勤務で休憩がほぼ取れない国内線乗務が毎月10日前後ついており、メインは労働負荷が高く現地宿泊を伴う1日3便のパターンだった。ただでさえ疲労が溜まりやすい勤務状況に加え、Tさんは国際線のなかでも労働負荷の高い1泊4日のロサンゼルス便勤務が、亡くなる半年前からほぼ毎月のようにあった。
特にTさんの疲労を高めたのは、19年1月10日に亡くなる2カ月ほど前の6日連続勤務と定期緊急訓練の連続シフトだ。具体的には以下の通り。
10月25日 羽田→米子→羽田→大分(宿泊)勤務時間7時間16分【休憩なし】
10月26日 大分→羽田→長崎→羽田(帰宅)勤務時間9時間45分【休憩なし】
10月27日 羽田 →
10月28日 → ロサンゼルス(LAX)勤務時間12時間15分【長時間、深夜、時差】
10月29日 LAX →
10月30日 → 羽田 勤務時間15時間14分【長時間、深夜、時差】
10月31日 【休日】→ 緊急訓練に向けた勉強に費やされる
11月1日 【休日】→ 緊急訓練に向けた勉強に費やされる
11月2日 定期緊急訓練
11月3日 定期緊急訓練
10月26日の九州3便フライトというのは、国内線勤務パターンのなかでも辛いことでCAの間では有名だが、Tさんはその翌日にロサンゼルス1泊4日のシフトが組まれている。ANAのOGも「これでは国内線の疲労が取れず、身体を引きずるようにして国際線を飛んでいたに違いない」と話す。
さらに、この苛酷な6日連続パターンの後、わずか2日間の休みで時差も疲労も取れないなか、その後に定期緊急訓練がついていた。緊急訓練は年に1度、緊急着陸や火災発生などの緊急時を想定して行うもので、数機種あるドアの開閉チェックやペーパー試験などで総合80点以上取れなければ翌日からフライトすることができなくなるというもので、「この訓練がある月は1カ月前から気分がブルーになり、事前準備や勉強に追われる」(先のOG)という。
Tさんは前述のように会社や同僚から差別的な扱いを受けていたため、「100点満点を取らなければ、さらなる差別につながるとの精神的負荷は相当大きいものがあった」(Tさんを知るCA)。2日間の休日も訓練の勉強に追われ、身体を休めるどころではなかったとみられる。
CAのチームワークは乗客の安全に直結、過酷な勤務シフトはリスク要因に
これまでTさんが置かれた過酷な労働環境が、19年1月10日の105便での悲劇の背景にあることを論じてきた。読者のなかには「そんなにひどい職場ならさっさと辞めればよい」と言われる向きもあるかもしれないが、人にはそれぞれ事情がある。それに、今の日本社会は40代、50代のCAが条件の良い畑違いの仕事に転職できるほど優しくはない。
今回の場合、ANAが30年間、正当な理由もなくまったく昇進させなかった上、脳動脈瘤という脳出血の発生リスクが高い持病の事前申告があったにもかかわらず、過酷な勤務シフトを組んだというマネジメントに欠陥があると考えるべきだろう。
Tさんが105便のフライトで亡くなる数カ月前にステイ先のホテルで書いたメモには、「自分の性格がまねいた大きな誤解とはがれないレッテル」(本稿冒頭)、「⻑年、この『普通じゃない』立場の私に対してたてまえだけの『普通の面談』がなされ気持ちが張り裂けそうだった」(下写真)など、自らの境遇について深刻に思い悩んでいた様子がうかがえる。突然の死により、悲痛な心情が吐露されたこのメモが事実上の「遺書」となってしまったことは残念でならない。

航空機という密閉され、すぐに緊急医療措置を受けられる保証のない空間で乗員乗客の命を守るには、CAのチームワークが重要だ。そこに分断を持ち込む人事評価制度や過度に負担の大きい勤務シフトを長年にわたって存続させてきたANA経営陣は、乗員乗客に対する安全配慮義務を十分に果たしていないと批判されても仕方ないだろう。
(文=松岡久蔵/ジャーナリスト)
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