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「学校に行かない」はギャンブルじゃない! 多様性を認めない教育のリスクと「選択できる」時代

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gakkou.jpg「AC photo」より

 筆者が学生のころ、教員などによく言われたセリフがある。

「お前は自分のやりたくないことから逃げて、やりたいことしかやらない」

 まあ自身にそういう点があるのは認めるが、社会性など微塵もないであろう学校教員、運動と部活動の生徒いびり以外にとりえがない体育教員に言われる筋合いはないと思っていた。そして、根本的にいえば逃げていない。そして、この気持ちをいつも抱いていた。

「学校に来てやってるんだぞ。その時点で逃げていない」と。行きたくもない学校にちゃんと登校している時点で、根本的に自分は逃げてはいないと。

 筆者は極端な人間であり、怒られても反省しないので教師など大人にはよく槍玉に挙げられた。高校卒業までそんな感じではあったが、自分を貫いてきたことを後悔はしていない。なぜなら「自分は決して間違ってはいなかった」と今になって思うからだ。筆者はかなりの田舎育ちで、「おらが町」のような閉鎖的な考えを持つ同級生や大人がどうしても好きにはなれなかった。変わり者扱いも受けていたように思う。今もかかわりのある地元の友人など極わずかしかいない。

 今、「学校に通う必要があるのか」という言葉がよく叫ばれている。インターネットが世間に完全に浸透し、その場にいなくとも相互コミュニケーションを図れる今、そうした議論が出るのは極めて自然だろう。学校法人角川ドワンゴ学園が運営する、通信制で高校卒業資格が得られる「N高等学校」も登場し、わざわざ行きたくもない学校に行く必要もなくなった。筆者が今中学生なら、ここを受験するかもしれない。

 こういった新たなサービスがある今、無理して旧態依然とした学校になど行く必要はない。筆者はそう確信している。

 理由は多くある。時は平成にもかかわらず、運動会や行事で生徒たちをズラズラ並ばせるような軍隊風の時代遅れな気質が残っていること。公務員に過ぎない教員の世間とズレた一方向的な感覚などなど。そういった場では、その環境に適応できる人できない人が明確に分かれてしまうだろう。学校教育の現状は、多様性を認めないシステムによって成り立っている。

 何より問題は、教員を含む大人が「なぜ学校に行かねばならないのか」を正確に伝えられない部分だろう。「勉強」なら通信教育でもできるし、「高卒資格」などなら大検もある。「集団生活」に関しても、別にSNSのコミュニケーションが取れる今、本当に必要なのか。子どもに「なぜ学校に行かなければならないのか」と問われて、明確に答えを出せる大人は少ないのではないか。ただなんとなく「みんなそうだから」「普通そうだから」という回答しか出せないだろう。

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