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1000万円の支払いを拒否して5億円をどぶに捨てた武豊の親友オリビエ・ペリエ。外国人騎手と税務署の仁義なき戦いに決着を付けたのはあの総帥。

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oribieperie.jpg日本で勝ちまくった外国人騎手と言えばペリエ

 天皇賞(秋)は単騎免許で来日したライアン・ムーア鞍上のモーリスが快勝。オーナーの吉田和美氏の夫でノーザンファーム代表の吉田勝巳氏は勝因にムーアの騎乗をあげており、また多くの競馬関係者もムーアの騎乗を絶賛するなどその巧さを讃えた。さらに2着に外人騎手のデムーロが入り、逆に現在リーディングジョッキーである戸崎圭太騎手騎乗のルージュバックは、本人も認める騎乗ミスで大敗、あらためて外人騎手と日本人騎手のレベルの差を見せつけるレースとなってしまった。

 短期免許制度がスタートし外人騎手が来日するようになったのは1994年だが、当初はG1レースを勝つような馬に乗る機会は与えられず、短期免許でのG1勝利は1998年(朝日杯3歳ステークス、マイケル・ロバーツ)になってからであった。

 しかしフランスのトップジョッキーであるオリビエ・ペリエらが来日するようになって状況は一変する。ペリエはとにかくビッグレースを勝ちまくった。2001年にはマイルチャンピオンシップ、ジャパンカップ、阪神ジュベナイルフィリーズで3週連続G1レースを勝利、2004年の秋はゼンノロブロイとのコンビで天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念を三連勝して同馬を年度代表馬に導き、さらには有馬記念三連覇を成し遂げるなど多くのG1レースを勝利したのだ。

 ちなみにゼンノロブロイはそれまで横山典弘、柴田善臣、田中勝春といった日本のトップジョッキーが騎乗したがG1レースは未勝利。その同馬をあっという間に日本最強馬に仕立て上げたその手腕は、日本人騎手と外人騎手のレベルを感じさせるに十分のものであった。

 JRAの短期免許制度は一人当たり年間最大3ヶ月までという制約があった。そのため一年を通してペリエを騎乗させることはできず、社台グループは自らの生産馬を勝たせるため世界中から外人騎手の招聘に力を入れたのである。例えばモーリスと同じ吉田和美氏が所有していたロックドゥカンプは、第52回有馬記念出走時にアイルランドのトップジョッキーであるマイケル・キネーンを、有馬記念の騎乗のためだけに呼んだが、この時は騎乗料として数百万円を支払い、さらに勝った場合の成功報酬としてさらに数百万円が約束されていたという。

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