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“天皇”と呼ばれた前経営陣否定で改革するパナソニックの本気度

パナソニックのプラズマテレビ撤退はB2B企業転換への布石!? 改革への大きな一歩

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 社長になった津賀氏は、前経営陣の否定へと突き進む。就任後すぐに欧州の携帯電話事業への再参入を決めた前経営陣の方針を覆し、撤退を決断した。血糖値測定センサーや電子カルテの作成、補聴器などを手掛けるヘルスケア事業の子会社、パナソニックヘルスケアを売却する。同事業の12年3月期の売上高は1336億円。営業利益を88億円稼ぎ出す黒字部門だ。前経営陣はテレビなど家電に代わる柱として、ヘルスケア事業を育てるとの方針を示してきた。

 中村社長時代に制定された企業のスローガン「ideas for life」と、大坪社長時代に作られた環境重視を示すマークの「ecoideas」の使用を3月末で終了する。

 さらに、12年ぶりに事業部制を復活させる。巨額の赤字経営に陥る中、創業者の松下幸之助氏が考案した事業部制を4月1日付で再び導入する。これにより収益管理を徹底し、利益率の向上を狙う。事業部制の復活は、前経営陣の否定にほかならない。

 00年6月、経営危機に陥った松下電器産業の社長に就任した中村邦夫氏が掲げた目標は「破壊と創造」。硬直化した体制の破壊である。中村氏が下した号令は「創業理念以外は、すべて破壊してよし」だった。

 最初の破壊が事業部制の解体であった。事業部制は、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助氏が1933年に導入したものだ。事業部制の採用は、わが国で初めてのことだった。製品ごとに開発から生産、営業まで一元管理し、各事業部が独立採算で競い合うことによって、業績を飛躍的に向上させた。

 事業部制は大量生産を最も効率的に実現できる組織形態といわれてきたが、半世紀の間に100を超える事業部が乱立。事業の無駄な重複も目立ち始めた。01年に中村社長が事業部制を廃止し、本社は各事業部から工場を取り上げ、業務内容ごとに組織を再編した。

 中村改革の本質は、幸之助氏が打ち立てた事業部制というビジネスモデルの破壊であり、創造はプラズマテレビへの巨額投資だった。現在、津賀社長は、中村改革の解体に、果敢に挑むことになる。

 津賀流の経営改革の第一歩は、プラズマテレビからの撤退である。パナソニックは13年3月期に7650億円の当期損失になる見込みで、2期連続の巨額損失を計上する。その最大の原因は、かつての看板商品だったテレビ事業の不振だ。プラズマテレビからの撤退の次には「テレビ事業をどうするか」という大きな問題が待っている。

 津賀社長はパナソニックの経営の核となる事業を、消費者向けの家電から企業向けのB2Bへと大転換を図る。B2Bとは、電子商取引の形態のひとつで、企業間取引のことだ。

 今年1月18日、米国ネバダ州ラスベガスで開かれた世界最大規模の国際家電見本市、コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)で基調講演を行った津賀社長は、「B2B事業の最大化」を宣言した。米ゼネラル・モーターズ(GM)とは車載用情報システムの開発を加速させ、米IBMとはITを活用した家電事業を進めることで合意した。

「将来、パナソニックは自動車メーカーになるかもしれません」。津賀社長はCESでの会見でこう述べ、自動車産業向けの事業を拡大する意思を鮮明にした。

BusinessJournal編集部

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