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ソニー、なぜ“緩慢な自殺”進行?パナとの明暗を分けた危機感の欠如と、改革の学習経験

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家
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「中村改革」において、社員は危機感を共有して改革に一丸となって取り組み、03年3月期に1266億円の営業利益をあげてV字回復を達成する。パナソニックは、「中村改革」によって「改革」のなんたるかを学習したといっていい。

 しかし、そのパナソニックは12年3月期、再び7700億円の巨額赤字を計上した。これを受け、同年6月にトップが交代した。社長に就任した津賀氏は、前述したように次々と改革を打ち出した。13年3月期には7650億円と2年連続の巨額赤字を計上したが、翌14年3月期には、冒頭に触れたように黒字転換を達成した。V字回復といっていいだろう。 

●改革に伴う痛みへの許容力があるパナソニック

 なぜ、「津賀改革」は、かくも早く成果を上げたのか。「中村改革」を抜きにしては考えられないというのが、私の見立てだ。パナソニック社員は「中村改革」を経験したことによって、危機に敏感になり、必要とあれば新しい試みにチャレンジする習慣が身に付いたと考えられる。いってみれば、「改革」を行うことに躊躇がなかった。「改革」の学習効果である。「改革」に際して、即座に危機感を共有し、団結力を発揮して、変化の痛みを許容する企業体質を培ってきたからだといえる。

 中村氏に対しては、ここ数年、厳しい評価が目立っている。プラズマテレビへの巨額投資が大赤字に陥った最大の要因といわれた。また、中村氏が廃止した事業部制は、14年に津賀氏が復活させた。これらの結果だけを見れば、「中村改革」は、間違っていたと批判されるのも無理からぬことかもしれない。

 しかし、「中村改革」なくして、今回の「津賀改革」はないと思う。「改革」のなんたるかを社内に浸透させたという意味で、中村氏の功績はもっと評価されていいだろう。

●「改革」の学習経験がないソニー

 一方、ソニーには、「改革」の学習経験がなかった。いや、ソニーはここ10年以上にわたって、「改革」に取り組んできたというかもしれない。そうだろうか。少し振り返ってみよう。

 95年に社長に就任した出井伸之氏は、99年に社長兼CEO、00年に会長兼CEOに就任し、05年に退任するまで10年間にわたってソニーの経営の指揮をとった。その経営手腕には、毀誉褒貶がつきまとう。

 出井氏は、「このままではソニーがダメになる」という強烈な危機感をもち、ソニーを変えようと苦闘、苦悩した経営者であったことは間違いない。

 例えば、コーポレート・ガバナンスの視点を取り入れた執行役員制度の導入や、生産部門を「ソニーEMCS」として子会社化したり、早期からネットワーク時代の到来を予見しIT構想を展開したことは、「変わらなければ」という危機感の表れであり、着眼点としては間違っていなかった。「EVA(経済的付加価値)」の導入は、米国型成果主義を導入しようとするあまり、短期志向に陥ったと批判される。それはその通りだが、従来の日本型経営を維持していては、米企業の進化についていけないという危機感の表れだったと見ることができる。

 ただ、残念なことに、出井氏には実行力が欠けていた。これらの構想を実現できなかったことについて、サラリーマン社長の身の出井氏は、「自分には創業者のような求心力がないから……」と嘆いたものだ。出井氏の危機感は社員に行き渡らず、「改革」と呼べるだけの「改革」にはつながらなかった。

 03年、ソニーの業績悪化を受けて株価が暴落する“ソニーショック”が起き、05年6月に出井氏は退陣した。その後継として、初の外国人トップとなるハワード・ストリンガー氏が会長兼CEOに就任した。私は、日産自動車の「ゴーン改革」による再生劇のように、青い目によるソニー改革を期待した。しかし、ストリンガー氏はなんの成果ももたらさなかった。事態はむしろ深刻化した。

 もとより、現在のソニーの経営不振は、歴代トップに責任があるだろう。いずれの経営者も「改革」を起こすことはできず、社員の強い危機感を引き出すことができなかった。社員は一度も大きな危機感をもつことがないまま、つまり「改革」に反応する力を身に付ける機会を逸したまま、衰退の道を歩み続けた。加えて、出井氏に誤りがあったとすれば、後継者にストリンガー氏を選んだことではないかと思う。

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