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「レジェンド」が語るパチスロの歴史〜オリンピアマシン編〜【アニマルかつみの回胴青春時代Vol. 04】

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 これまで3回に渡って、個人的なパチスロとの出会いというか馴れ初めみたいな話をさせていただいたわけだが、今月はしばし趣きを変えてパチスロの歴史についてのお話をしたい。

 パチスロが、海外のスロットマシンに日本流のアレンジを加えて誕生したことは、なんとなくだが皆さんもご存じのことと思う。では、いつどのような経緯でパチスロは産声を上げたのだろう。

 パチスロの祖先であるスロットマシンが日本に上陸したのは、第二次世界大戦後のこと。進駐軍が駐留施設での娯楽用に持ち込んだとされている。

 それがやがて民間に払い下げされたり、あるいは食料品などの物資ともに横流しされたりもしたのだろう。いつしか、街中の喫茶店やバー、そしてゲームコーナーのような場所に設置され、小銭を賭けて遊ぶようになったらしい。

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当時のアメリカ製スロットマシン。筐体上部メダル投入口の「¢(セント)」表記に注目。


 とりわけスロットマシンが流行ったのが沖縄である。長きにわたる米軍の施政下、本土のような公営ギャンブルが無かったこともあって、貴重なオトナの娯楽として大衆に浸透していったようだ。

 かような経緯もあって、現在も沖縄のホールでは本土と比べてパチスロの設置比率が高く、パチンコとほぼイーブン、ひと昔前まではパチスロが過半数を占めていた店も珍しくなかった。

 そんな風に日本に上陸したスロットマシンだったが、やはり「現金を賭してプレイするのはイカン」ということで、「パチンコと同様に景品交換可能な遊技機として風営法の中で認めてもらおう」といった動きになった。

 遊技機として認めてもらうためには、遊技の結果が「偶然」によるものではなく「遊技者の技量」でなくてはならない。つまりは「技術介入性」が必須なのである。

 具体的に説明すると、だ。海外製のスロットマシンは、リールが自動的に停止して揃った絵柄によって配当がある。これは「偶然」によるものなので賭博とされた。では、これに「遊技者の技術介入性」を持たせるためには、どうすればいいか。

 ここまで書くと、もうお分かりだろう。話は簡単だ。ストップボタンを取り付けて、遊技者が任意でリールを止めて絵柄を揃えられるようにすればいいのである。

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