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ヤクルト・五十嵐亮太が引退会見「プロ野球選手になれてよかった」。幾多の苦難を乗り越えた「速球王」の今後は!?

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 登板した日米通算905試合は、全て救援。東京ヤクルトスワローズの五十嵐亮太投手が10月15日、引退会見を行った。

 五十嵐は、千葉の敬愛学園高校から1997年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団した。1年目、2軍で10試合に登板して30奪三振、ファーム日本選手権でMVPを獲得するなど注目を集めると、2年目には1軍デビュー。150キロ台の速球を武器に、中継ぎのみで6勝をマークした。

 以後、ケガによる離脱こそあったものの一軍に定着し、2001年にはファンからの公募により、同僚の石井弘寿投手と共に「ロケットボーイズ」の愛称が付いたことも。2002年、2003年には2年連続で60試合以上に登板し、当時のプロ野球記録となる158キロを記録した2004年には5勝3敗37セーブで球団セーブ記録を更新、最優秀救援投手に輝いた。

 2006年には右肘じん帯断裂が発覚してオフにトミー・ジョン手術を受けるも、2008年に復活。2009年にFA権を取得すると、これを行使してメジャーリーグのニューヨーク・メッツに2年総額300万ドルで移籍した。

 2012年、福岡ソフトバンクホークスとの3年契約で日本球界に復帰すると、2019年のシーズンからは古巣のヤクルトへ。在籍時と同じ「53」を背負って開幕から力投し、5月28日には史上7人目となるNPB通算800試合登板、8月8日には史上4人目となる日米通算900試合登板を達成した。

 今シーズンは、開幕直前から故障で一軍を離脱。その後の昇格はなく、今季限りでの現役引退を決断した。

 会見で五十嵐は、「今シーズンで引退することを決意いたしました。今日まで平坦な道のりではありませんでしたが、人の縁にも恵まれ、ここまでやってくることができました」と挨拶。

「ブルペンでいろいろな話ができて、その空間はチームになってる感じがする。抑えた時よりも打たれた時の方がニュースになりやすいのも、これはこれで面白い」とリリーフの魅力を語り、「自分の野球人生を振り返ってみて、プロ野球選手になれてよかったなと、心から思えることに感謝しています。23年間、ありがとうございました」と感謝した。

 今後については未定だそうだが、プロ野球選手を目指す少年たちには「ひとつことを一生懸命やることで、乗り越えた時の喜びがあるこの世界はやりがいがある。プロを目指して、一生懸命練習してほしい」とエール。幾多の苦難を乗り越えた五十嵐らしいコメントといえよう。

 後日、引退試合が開催される予定。「たくさん泣いてきちゃった」と晴れやかな表情で引退会見を終えた五十嵐は、「見ている方にまだまだできるという思いをさせたい気持ちと同時に、僕自身も引退を撤回するぐらいの勢いでやりたいと思います」と意気込んだ。

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