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JRA藤沢和雄調教師「ラストイヤー」日本ダービー(G1)はまさかの不参戦!? 「一勝より一生」藤沢流原点となった“幻のダービー馬”とは

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 今月30日に行われる競馬の祭典、日本ダービー(G1)。1日の青葉賞(G2)で2着に好走し、優先出走権を獲得したキングストンボーイ(牡3、美浦・藤沢和雄厩舎)は、ダービーを回避することが発表された。

 管理する藤沢和雄調教師は来年2月に定年を迎えるため、今年のダービーが調教師人生最後のチャンスだった。まさかの決断には驚きの声が多く聞かれた。

「藤沢調教師は回避の理由について『態勢が整わないので。馬の将来のことを考えると無理はできない』とコメントしています。ケガなどのアクシデントではなく、あくまでも将来を見据えて、無理をさせたくないという考えのようです。

サラブレッドにとっては一生に一度のチャンスですし、一報を聞いたときは正直驚きました。しかし、馬のことを最優先に考える藤沢先生ならこの選択も全く不思議ではないですね」(競馬誌ライター)

 この決断を後押ししたのが、藤沢調教師の座右の銘ともいうべき「一勝より一生」という考え方だろう。師が常々口にしてきた目先の勝利よりも馬の一生の方が大事という意味のこの6文字は、美浦トレセン内にある藤沢和雄調教師の1500勝達成記念碑にも刻まれている。

 そんな藤沢調教師の考え方の原点となった馬がいる。1990年生まれの牡馬ヤマトダマシイだ。同期にはビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケットがいる、いわゆるBNW世代。ヤマトダマシイは93年の1月末に東京でひっそりデビューした。

 同馬は父シンボリルドルフ、母の父がキタノカチドキという内国産馬で、デビュー前から評判の馬だった。1番人気に支持されたデビュー戦では出遅れながらも3馬身差で快勝。その鮮やかな勝ちっぷりから、関東の秘密兵器として一気に注目度は高まった。

 91年に関東リーディングトレーナーに輝き、メキメキと頭角を現していた藤沢調教師だったが、惜しいレースはあれど、まだG1勝利には手が届いていなかった。そんなときに出会ったヤマトダマシイの素質にほれ込んだ藤沢調教師は、自己条件(500万下)から青葉賞、そしてダービーへという青写真を描いていたといわれる。

 しかし、デビュー2連勝を狙った3月の自己条件戦で悲劇は起こる。単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持されたヤマトダマシイは道中で中団を進んだが、4コーナー手前で失速。故障を発生し、競走を中止した。

 テレビの画面越しに、これがヤマトダマシイにとって最後のレースだとわかるほどの重傷。レース直後に安楽死の処置がとられたが、その姿を直視することはできなかったと藤沢調教師は後に語っている。

 この一件を機に、開業当初から続けてきた追い切りで過度な負荷をかけない藤沢流の“馬なり調教”は確固たるものとなった。そして、その年の秋にはシンコウラブリイで念願のG1初制覇を遂げ、初の全国リーディングトレーナーにも輝いた。

 その後も数多くの名馬を育ててきた藤沢調教師。「一勝より一生」の原点となったのは2戦目でターフに散った幻のダービー馬だった。

(文=中川大河)

<著者プロフィール>
 競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。

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