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パチンコ「夜の街もパチンコの世界も激変──とあるパチンコ素人による昭和60年のパチンコ風景・前編」【アニマルかつみの銀玉回顧録 Vol.002】

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 ところで、この年。パチンコ業界にとって大きなエポックがあった。前年、風俗営業取締法が大々的に改正され、風俗営業の適正化に関する法律…いわゆる新風営法が発布。

 それまで、各都道府県の公安委員会の裁量に任されていた遊技機の許認可が、現在のように保通協による型式試験にバスすることが必須となったのである。

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 まぁ、そんなことは一般のパチンコ打ちにとっては「ふーん、そうなんや」な話だったし、そもそもパチンコに詳しくなかった自分にとっては、夜遊びの果てに終電を逃した時の朝までの居場所だった繁華街のゲームセンターが新法により午前0時をもって終了してしまうことの方が、喫緊の懸念事項だった。

「ネオンが一斉に消えた街──新風営法施行」

 そんな見出しが新聞に踊り、自分を含めた夜行性の若者たちは、途方に暮れ路頭に迷った。

 一方、件のパチンコ好き連中にとっては、現実問題として「フィーバーの出玉が、めっちゃ減った」ことが、なによりもショッキングだったようだ。

 昭和55(1980)年に登場し、社会現象的なブームとなったデジパチ(当時は「超特電機」と呼ばれた)は、それまでのパチンコの概念を根底から打ち崩すギャンブル性の高さで、度重なる規制の対象となった。

 当初は、一度大当りすると店が定めた打ち止め個数に達するまで延々とアタッカーが開放して玉が出続けていたものが、「1回のアタッカー開放につき10個入賞まで」とか、「1回のアタッカー開放時間は30(のちに15)秒まで」と段階的に規制され、出玉は2千数百発程度に固定。

 それがさらに新風営法によって、賞球13×10カウント×10ラウンド=1300発にまで減ってしまったのである。

「去年までは、一発当たったら6千円にはなったのになぁ…」
「せやなぁ。新しいのは、3千円ちょいにしかならん。しょぼいわ…」

 そんな風に彼らは嘆いてたのだが、だからと言ってパチンコをやめることはなかった。聞けば、「出玉は減ったけど、ものごっつ当りやすくなったんや」というのだ。

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