
●この記事のポイント
・米中対立の新たな火種として、中国政府が米NVIDIAの最新GPU「H20」にバックドアが仕掛けられている可能性を指摘し、国内企業に使用を控えるよう求めた。
・だが、実際に半導体チップでバックドアが確認された例はなく、今回も政治的報復の色合いが強いと専門家はみる。
・NVIDIAにとって中国市場は売上の約15%を占め、数十億~200億ドル規模の影響も懸念される。
米中対立の新たな焦点として、半導体業界を揺るがすニュースが世界を駆け巡った。中国政府が米半導体大手NVIDIA(エヌビディア)の最新GPU「H20」にバックドアが仕掛けられている可能性を指摘し、国内企業に使用を控えるよう通達したと報じられたのである。
バックドアとは何か、本当に存在するのか、そしてこの問題が両国や日本企業にどのような影響を及ぼすのか。半導体産業を長年取材してきた国際技術ジャーナリストで「News & Chips」「セミコンポータル」編集長の津田建二氏に話を聞いた。
●目次
- バックドアとキルスイッチとは?
- ファーウェイ問題の“逆輸入”
- チップにバックドアを仕込むことは可能か?
- NVIDIAへの影響は甚大か?
- 日本企業への波及は?
- H20は“性能削減版”ではない?
- 米中対立の新段階
- まとめ
バックドアとキルスイッチとは?
そもそも、バックドアと何か。
「バックドアとは文字通り『裏口』です。システムやチップに、通常の認証ルートを通らず外部から侵入できる秘密の経路を設けることを指します。これがあれば、正規の利用者が気付かぬうちに情報を抜き取られる可能性がある」(津田氏)
さらに、バックドアとしばしば並んで語られるのが「キルスイッチ」だ。
「これは、バックドアを通じてシステムを遠隔で無効化し、動作不能にする仕組みのことです。たとえばサーバーやAI開発に用いられるGPUが、ある日突然使えなくなる。国家安全保障の観点からすれば恐るべきリスクですね」(同)
つまり、バックドアは「侵入」、キルスイッチは「停止」。情報覇権をめぐる米中の駆け引きの中で、この二つの言葉は大きな政治的意味を帯びている。
ファーウェイ問題の“逆輸入”
なぜ今、このような疑惑が浮上したのか。津田氏は「これは報復的な意味合いが強い」と指摘する。
「過去にアメリカは、中国の通信機器大手ファーウェイの製品にバックドアが仕込まれていると主張しました。『通信データが中国政府に流出する』と安全保障上の懸念を訴え、同社製品の排除を各国に働きかけたのです。結果として、欧米諸国を中心にファーウェイ製通信インフラは締め出されました」
しかし、実際に「決定的なバックドアの存在」が確認されたケースはなかった。調査の末に「疑わしいが証拠はない」という結論に至った例が大半だったという。
「今回のNVIDIA疑惑は、その“鏡写し”です。アメリカがファーウェイを叩いたように、中国側もNVIDIAを槍玉に挙げているのです」(津田氏)
チップにバックドアを仕込むことは可能か?
では、半導体チップに実際にバックドアを仕込むことはできるのだろうか。津田氏は懐疑的だ。
「通常、チップにアクセスするには共通のインターフェースを通じるしかありません。そこには認証システムが設けられ、正規利用者かどうかを確認する。裏口を作ること自体、理論的には不可能ではないでしょうが、極めて難しい。仮に特殊なプロトコルを用意しても、専門家が解析すれば痕跡は見つかるはずです」
これまで実際に「チップにバックドアが見つかった」という事例は、少なくとも公開情報としては存在していない。
「つまり、現時点では疑惑の域を出ない。むしろ政治的メッセージの意味合いが強いと見るのが自然です」(同)
NVIDIAへの影響は甚大か?
とはいえ、中国市場での不買通達は、NVIDIAに少なからぬダメージを与える可能性がある。
「NVIDIAの売上のうち、中国が占める割合は約15%程度とされます。仮に本格的に排除されれば、数十億ドルから200億ドル規模の損害を被るとの試算もあります」(津田氏)
実際、NVIDIAは米国政府の輸出規制を受け、中国向けGPU「H20」を一度は出荷不能とし、在庫を損失計上していた。しかし2024年夏に規制が緩和されると、一転して中国に供給を再開。積み上げた在庫を吐き出し、売上を回復させつつあった。
「その矢先の“バックドア疑惑”ですから、企業戦略にとって痛手になることは避けられません」(同)
日本企業への波及は?
では、日本企業はどう影響を受けるのか。
「日本の半導体メーカーは、残念ながら最先端プロセスでは存在感が小さい。そのため直接的な打撃は限定的でしょう。ただし製造装置メーカーには影響があります」(津田氏)
東京エレクトロンやSCREENなどの装置メーカーは、ここ数年、中国向け出荷が不安定に揺れてきた。2023年には「今のうちに買っておこう」と中国企業が駆け込み購入を行い、特需で売上が急増。しかし2024年以降は反動で需要が減少している。
一方、アドバンテストなどテスト装置メーカーは、AIチップ需要の急拡大により業績が好調だ。
「つまり、日本企業全体への影響は一律ではなく、装置の種類や需要のタイミングで明暗が分かれるのです」(同)
H20は“性能削減版”ではない?
さらに津田氏は、報道でしばしば誤解されている点を指摘する。
「H20は、アメリカの規制に合わせて機能を削減したとされていますが、それほど大幅な性能低下ではないのです。GPUは並列処理で成り立っており、ミニGPUが多数組み込まれている。H200に比べてH20はその数を減らしただけ。つまり、複数枚を並べれば同等の性能を実現できる。中国企業にとっては十分に実用的な製品なのです」
加えて、中国国内のチップ開発力は依然として限定的だ。ファーウェイ製GPUも性能面で課題が指摘されており、実際のユーザー企業は「結局はNVIDIAを使いたい」というのが本音だという。
「政府は『使うな』と言っても、企業は裏ルートで導入するでしょう。中国ビジネスの常套手段です」(同)
米中対立の新段階
NVIDIAバックドア疑惑は、事実関係が確認されていない以上、科学技術というより政治の領域に属する問題だ。だが、AI・半導体が国家戦略の核心にある以上、今後も類似の“疑惑”が相互に持ち出される可能性は高い。津田氏はこう結ぶ。
「米中双方ともに、半導体を戦略兵器として扱っている。疑惑が事実であるか否かよりも、相手の成長を抑制するカードとして使う。企業は翻弄されますが、我々は“事実”と“政治的思惑”を冷静に区別する視点を持つことが必要です」
まとめ
・バックドア=裏口からの侵入、キルスイッチ=遠隔停止機能。
・過去のファーウェイ問題同様、今回も政治的駆け引きの色合いが濃い。
・実際にチップにバックドアが仕込まれた事例は確認されていない。
・NVIDIAには数十億~200億ドル規模の影響の可能性。
・日本企業への影響は限定的だが、装置メーカーは需給変動で揺れる。
・H20は性能削減版とされるが、実際には十分な実用性を持つ。
AIと半導体が国際秩序を左右する時代。NVIDIA疑惑は、単なる“噂”に留まらず、米中覇権争いの新たな局面を象徴する出来事といえるだろう。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=津田建二/国際技術ジャーナリスト)






