海外に強いフジタと連携し、施工まで一貫して手掛ける体制を整え、中国や東南アジアで住宅・マンション供給を拡大する。フジタが強力な基盤を持つベトナムでの連携を期待している。国内の住宅・建設市場は縮小しており、業界の枠を超えた再編の動きが広がってきた。
ゼネコンは大小を問わず、住宅メーカー、特にプレハブメーカーを格下と見なしてきた。時代は変わり、プレハブメーカーがゼネコンを傘下に収めるわけだ。大和ハウスは2008年4月に小田急電鉄系の中堅ゼネコン・小田急建設(現・大和小田急建設)の筆頭株主になった。フジタで、ゼネコンの買収は2件目となる。
フジタの売却は銀行主導で進められた。三井住友銀行にとってフジタは10年越しの問題案件だった。02年初頭に大手都市銀行が、それぞれお荷物と考えていたゼネコンは、三井住友銀行がフジタ、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)が佐藤工業、富士銀行(同)が飛島建設。三井住友はフジタを、建設事業の新フジタと有利子負債の多い不動産事業・ACリアルエステートに分割して、新フジタを三井建設+住友建設(当時、統合に向け交渉中。その後、三井住友建設となる)に合流させるシナリオを描いたがうまくいかなかった。佐藤工業は会社更生法を申請。飛島建設は3度の金融支援を受けて不死鳥のように生き残った。
三井住友は05年、フジタに荒療治を実施した。まずACリアルエステートを民事再生法を申請して法的に処理。新フジタは三井住友が債務免除を行い、90%を超える大幅な減資を実施した上で、再建スポンサーとなったゴールドマン・サックスに売却した。三井住友とゴールドマンはビジネスパートナーだ。いったんゴールドマンに引き取ってもらったフジタの最終的な受け皿として、三井住友がメインバンクの大和ハウスに白羽の矢が立った。
大和ハウスは11年11月、14年3月期に売上高2兆円、営業利益1200億円の達成を目標とする3カ年中期経営計画を発表。戸建てや商業施設などのコア事業の強化を図る一方、「Globalな成長への布石として、海外拠点の整備、海外展開による業容の拡大」を基本方針として掲げ、M&A(合併・買収)の強化を打ち出していた。フジタの買収話はまさに“渡りに船”だった。
11年(暦年)の住宅の新規着工戸数は83万4117戸。戦後最高だった73年の191万戸の4割程度だ。20年ごろまで80万戸台で推移すると予測されている。国内住宅市場の低迷を受けて大和ハウスはプレハブ住宅からの脱却を進める。戸建て住宅が本業の同社が、大規模な賃貸住宅を開発したのもその一環だ。
同社の12年3月期の新設住宅の着工件数は戸建て・分譲住宅が9659戸、集合住宅・マンションなどと合わせて4万1004戸。ライバルである積水ハウスの12年1月期の実績は、戸建て・分譲住宅が1万7325戸、集合住宅・マンションを合わせると4万7005戸。戸建て・分譲住宅の差はかなり大きいが、総戸数では積水ハウスを追い上げてきた。
積水ハウスに追いつき追い越せを標榜する大和ハウスは、ショッピングセンターなど商業施設への取り組みを強化して、売上高ではすでに積水ハウスを上回った。大和ハウスの12年3月期の連結売上高1兆8487億円に対して、積水ハウスの12年1月期のそれは1兆5305億円だった。
国内市場の縮小が見込まれるなか、大和ハウスが目を向けたのが海外だ。06年に中国・大連で分譲マンションの開発に着手し、12年にはベトナムで工業団地建設に乗り出している。しかし、同社の12年3月期の海外売上高は126億円と全体の1%にも満たない。フジタの12年3月期の連結売上高は3108億円。建設業界では11位だが、このうち海外売上高は395億円(売り上げの12.7%に相当)。鹿島などスーパーゼネコンに次ぐ実績を挙げている。大和ハウスにとって、この395億円がかなり魅力的に映った。
大和ハウスとフジタの12年3月期の業績を合算すると売上高は2兆1595億円、営業利益は1185億円。3カ年計画の売り上げ目標を達成できる。
売上高2兆円が意味するところは大きい。ライバルの積水ハウスを突き放すだけではない。スーパーゼネコンの鹿島(12年3月期の売上高1兆4577億円)、清水建設(同1兆3361億円)、大成建設(同1兆3235億円)、大林組(同1兆2457億円)を大きく上回る。住宅と建設の二つの業界に軸足を置く大和ハウスは、売り上げ日本一の座を手に入れることになるのだ。
大和ハウスの最高実力者は、会長兼CEO(最高経営責任者)の樋口武男氏(74)である。創業者でプレハブ住宅の生みの親、石橋信夫氏に30年間仕えた。著書『熱湯経営—「大組織病」に勝つ』(文春新書)で石橋氏を「父」と言い切り、二人三脚の経営を四国巡礼のお遍路さんと弘法大師の「同行二人」に重ね合わせる。石橋氏に対する心酔ぶりは、読む者を辟易させるほどだ。
石橋信夫氏は、3年間のシベリアでの抑留生活に耐えて帰国。その苛烈な体験から「瞬間、瞬間を悔いなく生きる」と心に決め、人並み外れた意志と行動力で事業に取り組む。55年4月、林業を継いだ実兄・義一郎氏とともに大和ハウス工業を設立した。
『熱湯経営』には書かれていないが、プレハブ住宅の生みの親には、兄と決別し、息子を経営陣から切る非情さがある。96年に長男・伸康氏が社長に就任。米国留学の経験を持つ伸康氏は、米国仕込みの急激なリストラを実施。営業マンの士気は急激に低下した。現場に渦巻く不満を目の当たりにした父親の信夫氏は、伸康社長を更迭した。樋口氏ら子飼いの役員が気遣って非常勤として残していた伸康氏を役員から外すよう、強く指示したほどだ。
「会社は俺の命」と言ってはばからなかった信夫氏は病床から陣頭指揮を執り続け、03年2月、81歳で他界した。「社葬はするな。わしは1日たりとも仕事をやめてほしくないんや」。亡くなる10日ほど前に、樋口氏にこう遺言した。信夫氏は「創業100周年にグループ売り上げ10兆円」の夢を語っていた。樋口氏は、その大願成就に向けてM&A路線を驀進する。
8月13日の東京株式市場で大和ハウス株は安値1076円(67円安)まで売られた。フジタの純資産が前期末で294億円なので、買収価格が高すぎると警戒されたのだ。
しかし、フジタは中国の上海、フィリピン、ベトナムに子会社を持っている。海外経験の豊富さを“プレミアム”として500億円払ったのだから、バランスは取れている。
(文=編集部)