2008年秋のリーマンショックが背中を押した。
決算期 売上高 当期利益
09年3月期 10兆円 ▲7873億円
10年3月期 8兆9685億円 ▲1069億円
11年3月期 9兆3158億円 2388億円
12年3月期 9兆6658億円 3471億円
13年3月期(見込み) 9兆円 2900億円
すべては09年3月期の7873億円の最終赤字から始まる。国内の製造業で過去最大の赤字を計上した。業績悪化の責任を取り、庄山悦彦・取締役会長と古川一夫・代表執行役社長は引責辞任。後事を託されたのがOBの川村隆である。子会社の日立プラントテクノロジーと日立マクセルの会長を兼務していたが、第一線を退いた格好だった。
川村は東京大学工学部電気工学科卒の技術者。重電部門の“本家”日立工場の工場長を務め99年に日立本体の副社長に就いた。03年に子会社の会長に転じ、これでサラリーマンすごろくの上がりになるはずだった。
川村は本体の社長に呼び戻された。同時にグループ会社に転出していた元副社長たちも復帰した。経営陣はガラガラポンの総入れ替えとなった。09年4月に就任した川村会長兼社長と5人の副社長で経営改革が進められた。電力や鉄道などの社会インフラ事業に経営資源を集中、これに情報通信や環境関連技術を絡ませるという考え方だ。総合電機路線からの決別である。
グループのありようも見直す。日立は主要グループ会社40社を抱えるが社会インフラ関連に近いグループ会社は本体に近づけ、そうでない会社は遠ざける。この基本線に沿ってグループの再編が進められた。
09年、上場子会社5社をTOB(株式公開買い付け)で完全子会社化した。情報システム部門の日立情報システムズ、日立ソフトウェアエンジニアリング、日立システムアンドサービス。電力・産業システム部門の日立プラントテクノロジーとデジタルメディア部門で民生用の電池を手がける日立マクセルの5社だ。
日立は伝統的に独立採算制をとってきたため、グループ内で事業が重複して非効率だった。事業の適正配置が長年の経営課題になっていた。上場会社の完全子会社化は、日立以外の株主に配当として利益が流出するのを防ぐ狙いもあった。
古川一夫社長の時代には、独立心が旺盛な子会社のトップが合併や子会社化に猛反対して、子会社の再編計画は頓挫した。
だが、7873億円の巨額赤字が反対意見を封じ込めた。上場5社の完全子会社化が風穴を開け、経営改革が一気に進むことになる。
10年4月、中西宏明が社長に就任した。彼も川村と同様、復帰組だ。東京大学工学部卒の技術者。国際事業部門長を務めるなど海外経験が豊富だ。05年に子会社の日立グローバルストレージテクノロジーズ(現HGST)のCEO(最高経営責任者)に就任し、赤字の同社を再建させた実績を引っ提げての復帰だ。09年4月、日立の副社長に。1年後、社長に昇格した。中西も重電部門の出身。川村がまだ日立工場の設計部長だった頃からの付き合いだ。