(「サクラダ HP」より)
株式市場は生き馬の目を抜く世界だ。
舞台となったのは東証1部上場の橋梁工事の名門、サクラダ(千葉市、曽田弘道社長)。11月27日、東京地裁へ自己破産を申請、同日破産手続き開始決定を受けた。負債総額は26億9000万円。
経営が悪化したサクラダは資金調達のため、今年1月27日に第三者割当増資方式の新株予約権の募集を発表。2月24日の臨時株主総会で承認された。新株予約権を引き受けたのは、三田証券(東京・中央区日本橋)だ。サクラダは1億株を発行し、新株予約権の行使価格は1株10円(固定)となっている。引き受ける三田証券は36.61%の筆頭株主になり、サクラダは10億円の資金を調達するというシナリオだった。
引き受け手の条件がすこぶるよかった。第三者割当増資を決議した直前営業日(1月26日)の終値は32円。10円で引き受けるわけだから、ディスカウント(値引き)率は68.75%。時価より大幅に値引きされた。
サクラダによると「アドバイザリー(助言・指導)役であるスピードパートナーズ(東京・中央区湊)から三田証券を紹介され、三田証券から新株予約権の提案を受けた」という。
三田証券は資本金5億円の非上場の証券会社だ。1949年7月の創業で、現社長は三田邦博氏、兜町に本店がある。同社のHPには、「ユニークなアイデアと金融技術を駆使して運用主体と調達主体を結びつける、『直接金融の担い手』としての使命感を持って営業を行っております」とあり、医療機関の資金調達や有価証券・投資信託の担保ローン、さらにはTOB(株式公開買い付け)の代理人になることを業務としている。
10円で株式転換する際に、株価がもし10円を割っていたら、引き受けた側に損が出る。ここから株価の下落防止の大作戦が展開された。
三田証券は8月27日までに新株予約権をすべて行使した。サクラダの9月30日時点の大株主上位10位までに三田証券の名前はない。同社は、すでに持ち株を売り切っていたのだ。2月から9月にかけて株価は20円台から10円近辺まで下落していたが、1度も10円を下回ったことはない。三田証券経由でサクラダ株式を売買した投資家は負けなしだったろう。億単位で儲けた投資家(いや投機家)もいたと兜町では推測されている。
三田証券は、ゴルフ場業界を騒然とさせているPGMホールディングスによるアコーディア・ゴルフの敵対的TOB(株式公開買い付け)の買い付け代理人にもなっている。
さて、サクラダは社歴の長い老舗の橋梁工事業者だ。1895(明治28)年創業で、1920(大正9)年に法人(櫻田機械製造所)に改組された。本四架橋3ルートのうちのひとつで、85年に竣工した大鳴門橋や、同じ88年に竣工の北備讃瀬戸大橋を造った。首都圏では東京・葛飾区の、かつしかハープ橋などを完成させた。
89年東証1部に上場。92年3月期には、296億9600万円の売り上げを上げていた。
しかし、91年3月14日、広島市の新交通システムの工事現場で、長さ63.4メートル、重さ60トンの鋼製橋桁が10メートル下の県道に落下した。この事故では、県道で信号待ちしていた11台の車両が押しつぶされた。市民10人、建設作業員5人の、合わせて15人が死亡、8人が重傷を負う大惨事となった。工事の発注者は広島市、元請会社はサクラダ。この事故が、サクラダ転落の始まりとなった。地方公共団体からの指名停止が相次いだからだ。
98年には、経理担当役員がデリバティブ(金融派生商品)取引で失敗し、100億円を超える損失を出し、これが致命的なダメージとなった。
05年12月、東証2部上場で、12年12月にアジアグロースキャピタルに社名変更した森電機がサクラダの支援に乗り出した(ここでは森電機のままとする)。森電機が設立するファンドが最大55億円を拠出。サクラダはこの資金を活用して投資事業を始めるという触れ込みだった。
森電機の小川浩平社長は米投資銀行ゴールドマン・サックス出身で、「証券市場の魔術師」と呼ばれていた。この魔術師が編み出した経営再建のためのスキームはこうだ。投資事業に転換したサクラダは、ジャスダック上場のディーワンダーランドの筆頭株主となる。ディーワンダーは中古ブランド品の売買で知られるブランド質屋、大黒屋を買収する。
高収益を上げていた大黒屋に業績不振の森電機、サクラダ、ディーワンダーをくっつける。大黒屋の人気に便乗してディーワンダーの株価を引き上げ、同社の筆頭株主になるサクラダ、サクラダに出資する森電機の株価もツレ高させるという“三方一両得”のシナリオだった。
この筋書きに従い、サクラダが筆頭株主になったディーワンダーは06年3月、160億円で大黒屋を買収して完全子会社にした。しかし、ジャスダック証券取引所がこの買収に異議を唱えた。大黒屋が実質的な存続会社なのに、ディーワンダーの名前を借りて裏口上場することになると判断して、上場審査(上場廃止)の対象としたのだ。
その後、ディーワンダーは上場廃止を免れるために大黒屋の売却を模索したが、条件が合わず売却を断念した。ジャスダックは10年2月9日、不適当な合併等に該当するとして同社を上場廃止にした。
結局、小川氏が描いたスキームは崩壊。サクラダは投資事業から撤退した。サクラダの12年3月期の売り上げは、46億8800万円に激減。資金繰りに窮した末に、10億円の資金を調達するために実施したのが、冒頭に書いた新株予約権の発行だった。
の上場廃止は12月12日。12月11日の終値は1円。たった1円で取引を終えた。
橋梁工事の名門サクラダはマネーゲームのカードに成り果て、創業117年の歴史の幕をあっけなく閉じたのである。
(文=編集部)