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吉田潮「だからテレビはやめられない」(9月2日)

日テレ24時間テレビ、上から目線で障害者を利用し、無理矢理つくられた“キセキ”に疑問

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日本テレビタワー(「Wikipedia」より/Kure)
 主要なテレビ番組はほぼすべて視聴し、「週刊新潮」などに連載を持つライター・イラストレーターの吉田潮氏が、忙しいビジネスパーソンのために、観るべきテレビ番組やテレビの“楽しみ方”をお伝えします。

 日本テレビ毎年恒例の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(8月30~31日放送)をこんなに真面目に観たのは初めてだ。もちろん24時間観たわけではない。途中チョイチョイ浮気して、うっかり面白かった番組もあるので触れておく。

『ワイドナショー』(フジテレビ系/31日)で、松本人志(ダウンタウン)や乙武洋匡の「チャリティーに対してモノ申す」は、戦略的であざとくてよかった。最近著名人の間で流行しているアイスバケツチャレンジや、裏番組の24時間テレビに対して「そこんとこ、どーよ?」と思っている人の溜飲を下げたような気もしている。乙武君でないと言えないこと、あるわな。

『となりの防災家族』(NHK/31日)は、猫好き・佐藤二朗好きにはたまらない内容だった。防災意識の低い佐藤一家と、備えと知識がある櫻井淳子一家の「防災意識格差」を飼い猫からの目線でとらえる、というドラマ仕立ての啓発企画だ。一瞬、心がザワつくエンディング(あらぬ妄想を掻き立てる)でなかなかに面白かった。

 で、本題ね。病気や障害をもった人、体を酷使してまでがんばる人を清く正しく美しく描きたがるシナリオが、正直苦手だ。彼らの本当の気持ちや生の声はあまり取り上げられることがない。そこがなんだか「24時間テレビ的」で疑問を感じる。私たちはそのあたりを確か学んだはず。佐村河内守という人物から。今回のテーマが「小さなキセキ、大きなキセキ」っつうことで、何が何でもキセキにつなげようとするところに無理もあった。

 例えば、生まれつき目が見えない12歳の佐藤翔(かける)君。耳で聴いた音をピアノで再現できる素晴らしい才能の持ち主だ。華原朋美と武道館でコラボする企画だったのだが、この翔君、ものすごく明るくて常に笑顔で、おしゃべりが好きな、面白い男の子なのである。目が見えないからすごい、のではなく、そもそもすごいのである。VTRで華原がだいぶ直球な質問(障害のない人間の上から目線で)をぶつけるも、翔君は「ハハハ~」と素直に笑い飛ばす。VTRは「障害の説明」で、極めて24時間テレビ的編集。

 武道館で演奏した後も「Bメロんとこ、間違えそうになったけどすぐに直してよかった~アハハハ~!」と朗らか。あ、この子、すごく素直で、観ていて気持ちがいいなと思ったのだった。もっと翔君の声を聴きたかった。

 ところが、司会者は翔君のコメントを途中で遮り、さっさと次の企画へと誘導する。企画がめじろ押し&生中継で大変なのだろうけれど、演奏したらサッサと終わらせて、みたいな部分は残念である。キセキではなくて、翔君の実力として称賛すべきである。こういうところが残念というか、苦手なのである。

 さらには、フィギュアスケーターの羽生結弦は「被災地のために」、レスリングの吉田沙保里は「亡くなった父のために」、元プロボクサーの具志堅用高は「沖縄県民のために」。そう、24時間テレビでは「自分のために」「お金のために」「生活のために」は禁句であり、すべては人のため、でなきゃいけないのだ。ただし、羽生はそこに自らの戸惑いをきちんと声にしていたのは救いだった。自分のために滑る、でいいと思う。その姿に皆感動するのだから、壮大な使命感を負わせるってのもねぇ。今後はどうか「自分のために」頑張っている人も取り上げてほしい。お仕着せのテレビ的なキセキや感動ではなく、日常を映し出してほしい。ま、今後も続くのなら、という話だが。
(文=吉田潮/ライター・イラストレーター)

●吉田潮(よしだ・うしお):
ライター・イラストレーター。法政大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。「週刊新潮」(新潮社)、「ラブピースクラブ」(ラブピースクラブ)などで連載中。主な著書に『2人で愉しむ新・大人の悦楽』(ナガオカ文庫)、『気持ちいいこと。』(宝島社)、『幸せな離婚』(生活文化出版)など。カラオケの十八番は、りりぃの「私は泣いています」、金井克子の「他人の関係」(淫らなフリつき)など。