高齢化の進む日本で医師不足が深刻だ。官民挙げて対策に余念がないが、なかなか効果が上がらない。なぜだろう。
それは医師不足対策が容易に利権と結びつき、既得権者が抵抗勢力になりやすいからだ。具合が悪いのは、多くの関係者が「抵抗勢力になっている」という認識がないことだ。医師不足は、医療事故のようなわかりやすい被害者がいない。メディアは「有識者の意見」として既得権者の主張を垂れ流す。こうして、いつの間にか医師不足が医療提供者の権限擁護の議論に終始してしまう。今回は、この問題を考えてみたい。
医師不足でもっとも利益を受けるのは誰だろうか。私は医師養成機関、つまり大学医学部だと思う。
これは医療業界では、よく知られた話だ。知人の医療業界誌記者の中には「医師不足に悩む市町村の足元をみて、金をふんだくっている」と言う人までいる。さまざまな手口があるが、代表的なのは地方自治体からの「寄付講座」だ。福島県立医大のケースでご説明しよう。
福島県の医師が不足していることはいうまでもない。特に東日本大震災の被害にあった浜通りの医療環境は悲惨だ。状況はますます悪化しつつある。
例えば、整形外科のケースだ。福島労災病院の整形外科が崩壊の瀬戸際にある。労災病院の売りは整形外科。東北大から4名の整形外科医が派遣されていた。ところが昨年、宮城県内に新設される医学部へ派遣する必要もあり、東北大学は医師を引き揚げると通告してきた。いわき市の人口は32万人。仙台市、郡山市に次ぐ東北第3の都市だが、ご多分に漏れず医師不足。人口10万人あたりの医師数は173人。全国平均(238人)よりは3割程度少なく、南米やトルコと同レベルだ。地元の医師は「十分な医療を提供できていない」と嘆く。
年をとると誰もが膝や腰を傷め、整形外科にお世話になる。高齢化社会では整形外科のニーズは高い。この地域の整形外科の医療は福島労災病院といわき市立総合磐城共立病院(以下、市立病院)が担ってきた。福島労災病院の整形外科が閉鎖されれば、いわき市は「整形外科難民」で溢れることになる。
福島労災病院は福島県立医大に整形外科医の派遣を求めたが、断られた。同病院関係者によると「20年近く前の労災病院での東北大学医局とのトラブルという、訳のわからない理由で断られた」という。
事態を重くみたいわき市が福島県に相談したところ、「県立医大から寄付講座の活用を提案された」(市立病院関係者)。市立病院の「地域医療連携室だより」(2015年8月号)には、「福島医大付属病院紺野教授にいわき市の整形外科医不足についてご相談をしました。その際に紺野教授から共立病院に医師を派遣するために、寄付講座を作っては、とご指導を受けました」との記載がある。
この後、今年4月から5年間、福島県立医大に「地域整形外科支援講座」が設置され、市民病院に3名の整形外科医が派遣されることとなった。
寄付講座のスキーム
では、寄付講座とは、どんなスキームなのだろう。図は、そのカネの流れを示している。いわき市関係者からの情報提供だ。いわき市は、3名の整形外科医を派遣してもらうために年間6000万円を福島医大に支払う。5年間で総額3億円だ。
寄付講座から派遣される医師に支払われる人件費総額は2530万円。差し引き3470万円が福島医大の自由に使える金になる。残業代などは市立病院持ちだ。年間990万円を予定している。この結果、いわき市民は3名の整形外科医を派遣してもらうために、毎年6990万円を負担することになる。
そもそも福島県立医大は「県民の保健・医療・福祉に貢献する医療人の教育および育成」を理念に掲げており、震災後は多額の税金が投入されている。13年度に受け取った運営費交付金と補助金の総額は117億円である。一流国立大学なみで、金には困っていないはずだ。
寄付講座など設置せずとも、医師を派遣すればいい。東日本大震災で被害を受けたのは浜通りだ。福島市内に位置する福島医大ではない。ところが、いつの間にか被災地をネタに福島医大が焼け太る構造になっている。「寄付講座をつくらなければ医師を派遣しない」という福島医大の行動は、「ユスリ」といわれても仕方ない。
労働基準法に抵触する可能性
では、福島だけが異常なのだろうか。そうではない。医師不足対策の寄付講座は全国で急速に普及している。いずれも税金をばらまくだけで実効性はない。
例えば佐賀県は、佐賀大学に10年度から4年間で合計8億2200万円を寄付し、「地域医療支援学講座」を設置した。佐賀大学は「佐賀県内の4つの研修教育病院で内科各科を研修し、各専門科の検査・治療手技も習得しつつ臓器や疾患を限定せず全てに対応できる総合内科医を育成」する事を目的に掲げている。
具体的には、当初の目標として、13年度までに30人程度の医師を養成することとしていた。ところが14年現在、育成した研修医は2学年で7名。目標には遠く及ばない。ところが、この「地域医療支援学講座」は現在も継続しており、今年佐賀県は佐賀大学に1億円を寄付した。県内の医学部は佐賀大学だけ。医師不足の状態が続く限り、佐賀大学は実績を問われることなく、寄付金を受け入れ続けることができる。
この問題に詳しい小松秀樹医師は、「寄付講座は医師調達コストを上昇させ、地域医療に対する大学支配が強まる。また、労働基準法の中間搾取の排除に抵触する可能性がある」という。
医師不足の地域では、医師を派遣するものが力を持つ。通常は大学の医局だ。誰も彼らの意向に逆らえない。このように考えると、都道府県は地元の大学から金を搾り取られる被害者のように見えるが、一方的に搾取されているわけではない。彼らも自分たちに都合の良い制度をつくり上げ、弱いものから搾取している。その対象は医学生で、やり方は奨学金の貸与だ。
在学中から利息
多くの都道府県は、医学生に奨学金を貸与し、卒業後の一定期間を都道府県が指定する病院で働けば、返済を免除している。一見、学費に困る学生と、医師不足に困る都道府県の双方にメリットがあるシステムだ。ところが、実態は「人身売買」と変わらない。
静岡県のケースをご紹介しよう。静岡県は「静岡県医学修学研修資金」という制度を設け、医学生や大学院在学中の医師に対し、月額20万円を貸与している。医学生が6年間貸与された場合、総額は1440万円にのぼる。静岡県が指定する県立病院、市町村立病院に貸与期間の1.5倍を勤務すれば、返済は免除される。ただ、初期研修期間は通常の半分にカウントされるため、6年間貸与を受けた医学生は10年間勤務しなければならない。
問題は貸与時点、つまり在学中から利息がつくことだ。そして、その利率は年間10%である。さすがに複利にはなっていないが、在学中だけで約450万円の利息が発生する。利息制限法で定める利息の上限は15%であり、法律違反ではないが、日本学生支援機構の利息が法律で3%以下に制限され、在学中は無利息であることとは対照的だ。14年1月末現在、日本学生支援機構から奨学金を貸与される場合、固定利息で年利0.89%である。
ちなみに、借金を返済する場合には、一括返済しか認めていない。一度借金したら、抜け出せなくなる仕組みだ。
静岡県によれば、奨学金貸与の定員は年間120名。14年現在の総貸与者は646人で、本年度から県内病院で初期研修を受ける医師は過去最多の209人という。静岡県は、この実績を「成果」として強調している。
ただ、都道府県が、何も知らない大学生に法外な利息で奨学金を貸し付け、医師不足の辻褄合わせをさせることは、「人身売買と変わらず、憲法違反の可能性すらある」(都内の弁護士)。
さらに静岡県は都合の悪いことは隠している。例えば、医師として義務年限の勤務を終え、奨学金の支払いが免除された場合、税務上は静岡県から医師個人に約2000万円が贈与されたことになる。数百万円の税金の支払い義務が発生する。静岡県は、学生に対し「国税庁と話がついている」と説明しているそうだが、本当にそうなら文面で渡せばいい。
また、静岡県が斡旋する勤務先の病院の評判は総じて芳しくない。静岡県内の勤務医は「病院のレベルが低く、自力で医師を集められない病院が県に泣きついているだけ」と言う。
静岡県は「初期研修医の月給を30万円から40万円に引き上げたことも学生をひきつけたようだ」と自画自賛するが、医師不足の昨今、この程度の給料は別に珍しくない。例えば、前出のいわきの市立病院の1年目の研修医の給料は41万2300円だし、同じく福島県の南相馬市立総合病院は66万2500円だ。静岡県は何も知らない大学生に借金をさせて、レベルが低く、待遇が悪い病院で働かせていることになるという見方も可能だ。
結局、得をするのは、予算10億円の奨学金事業を差配する県庁の役人と、労せずして、研修医を確保できる公立病院だけだ。こんなことをしていると、まともな医師は養成できず、最終的にツケは県民が払うことになる。
もちろん、このような仕組みは静岡県だけではない。他県も同じような仕組みをつくっている。宮城県は月額20万を貸与し、在学中から10%の利息が発生する。千葉県は月額15万円を貸与。貸与が終わった段階から14.5%の利息がかかる。
医師不足の日本で、医師を派遣する権限は絶大だ。そこに利権が発生する。次回は、そんな「利権の構図」がいかに日本の医療を危機的状況に追いやっているのか、実態をみていきたい。
(文=上昌広/東京大学医科学研究所特任教授)
※後編に続く。