首都圏の医療が崩壊の瀬戸際にある――。
東京には13もの大学医学部がある。人口あたりの医師数も、徳島や京都と並び全国トップレベルだ。東京の医療が崩壊の瀬戸際にあると言われても、多くの方は実感できないだろう。
ところが、事態は深刻だ。誰も問題を認識しない間に首都圏の医療崩壊は加速しつつある。最近になって、ようやく一部のメディアが問題を報じるようになった。月刊誌「選択」(9月号/選択出版)は首都圏の私立医科大学の経営危機を報じた。
同誌によれば、日本医大の場合、2014年度の赤字は158億円。約600億円の有利子負債があるという。総資本を自己資本で割った財務レバレッジは349%と大幅な借金超過で、流動比率(流動資産と流動負債の比)は70%と手元資金も少ない。普通の企業なら「倒産寸前」の状態といっていい。経営が悪化しているのは、日本医大だけではない。神奈川県の聖マリアンナ医大、北里大学も赤字だ。
また、不祥事が続く東京女子医大は患者が激減しており、補助金も減額される。「選択」では、関係者が分院の身売りを進めていることが紹介されている。
朝日新聞も、8月24日の朝刊で『病院経営「8%」ショック』という記事を掲載した。この記事の中で、千葉県の亀田総合病院が取り上げられ、最近の経営悪化で職員のボーナスを5-6%カットしたことが紹介されている。
病院経営難の原因
なぜ最近になって、東京圏の一流病院が経営難に陥ったのだろう。
直接の原因は昨年の消費税増税だ。病院は医薬品などを仕入れる際に消費税を負担するが、患者に請求できない。つまり、損税が生じる。これは、自動車など輸出企業の置かれた状況とは対照的だ。輸出品は海外での販売時に課税されるため、消費税が免除されている。多くの企業は仕入れなどで消費税を負担しているため、その差額を政府から還付される。前出の朝日新聞記事によれば、湖東京至・元静岡大学教授(税理士)は、大手自動車メーカー5社が14年度に受け取った還付金の総額を約6000億円と推計している。
もちろん、厚労省も損税問題を認識している。そして、損税を補填するため診療報酬を1.36%引き上げている。しかしながら、これでは足りない。前出の亀田綜合病院でボーナスがカットされたのは、14年度の消費税支払い額が前年度より約4億円増えたためだ。17年春には消費税が10%に上がる。一方、財務省は診療報酬の減額を目指している。今後、診療報酬が増額されるとも考えにくい。このままでは、首都圏の医療はジリ貧だ。
では、なぜ全国で首都圏の医療機関が真っ先に経営危機を迎えるのだろうか。
それは、日本の診療報酬が全国一律の公定価格だからだ。診療報酬を抑制し、利幅が薄くなれば、コストが高いところから経営難となる。それは首都圏、特に東京だ。
病院経営の最大のコストは人件費である。全体の50-60%を占める。特に問題となるのは、看護師の人件費だ。看護師は、病院スタッフでもっとも多い職種だからだ。日本看護協会によると、東京都の看護師の平均年収は523万円。全国平均の473万円より一割ほど高い。病院経営の合理化は人件費の抑制といっても過言ではない。ところが、看護師の給与には大きな国内格差がある(図1)。関東から近畿地方にかけて高く、東北地方や九州・四国・中国地方が安い。
このような格差ができるのは、看護師の数が違うからだ。図2に人口当たりの看護師数と看護師の人件費の関係を示す。
両者は高度に逆相関し、九州と関東地方の看護師給与には実に20%の差がある。多くの医療機関の利益率は数%程度だ。人件費にこれだけ差があると、競争にならない。東京の看護師の給与は、今後も上昇し続ける。看護師が足りないからだ。14年末現在、東京の人口10万人あたりの就業看護師数は727人で、埼玉・千葉・神奈川・茨城・愛知に次いで少ない。
首都圏で看護師が不足しているのは、そもそも養成数が少ないからだ。例えば、東京の看護師養成数を西日本並にするには、看護学生の定員を一学年で5000人増員しなければならない。看護師育成のため、さまざまな試みがなされているが、看護師確保のハードルは高い。
首都圏の大学病院はコスト削減に懸命だ。医師にもしわ寄せがくる。私大医学部の五十代の教授は、「給料は手取りで40万円台」という。
このようなコスト削減には限界がある。人材に投資しなければ、病院はレベルアップしない。女性医師が増えた昨今、福利厚生が貧弱で、アルバイトに依存する生活を強いれば優秀な人材は集められないし、肝心の診療が疎かになる。アルバイト三昧の無責任体制は医療事故につながる。東京女子医大がたどった道のりだ。
対策
では、どうすればいいのだろう。
政府は、早急に診療報酬のあり方を見直すべきだ。全国一律の公定価格を止めなければならない。日本の財政状況を考えれば、首都圏の診療報酬を増額することは難しく、現実的には混合診療規制を緩和するしかない。
ただ、これは多くの既得権者の反発を買うだろう。医療分野には、いまだに政府による価格統制や量的規制が強く残り、多くの利権が生まれている。先日も日本歯科医師連盟の迂回献金が問題となったが、この献金は診療報酬の優遇を求めたものだ。公定価格の弾力化などの規制緩和を、こうした既得権益層が素直に受け入れるとは考えにくい。成長戦略の第三の矢として、規制緩和を掲げている安倍政権は、果たしてどこまでやるだろうか。
では、医療現場、特に病院経営者はどうすべきだろうか。
私は「選択と集中」だと思う。その成功モデルが公益財団法人がん研究会である。05年の有明移転での借金、その後の赤字経営、さらに07年の粉飾決算問題で、存続が危ぶまれた。
窮地を救ったのは、10年に顧問に就任した神奈川県土屋了介氏(現理事、神奈川県病院機構理事長)、11年から常任理事に就任した石田忠正氏(現JR貨物会長)だ。両者がタッグを組み、改革を断行した。競争優位な外科部門を強化した。手術数が増え、09年の1.4億円の赤字が、12年には32億円の黒字へと転換した。
都内の急性期病院の多くが「総合病院」だ。競争力のない診療科が不採算部門となっている。その典型が小児科だ。少子化が進んだ都内では小児科は過剰投資になっており、縮小、統合していくしかない。生き残るには、このような診療科をリストラし、競争力がある診療科に集中するしかない。
もう一つは、成長が期待できる地域との「交流」だ。具体的には東北地方だ。なぜ、東北地方なのか。それはコストが安いからだ。特に看護師の人件費が安い。宮城県ですら、平均年収は479万円だ。青森県にいたっては428万円である。優秀な人材が低コストで雇用できる。
医師の逆流
すでに地盤変動は起こりつつある。内部留保を貯め込んだ東北地医療機関が存在感を示しつつある。郡山市に本拠を置く南東北病院グループは、12年4月に川崎市内に新百合ヶ丘総合病院をオープンした。東北から関東への「逆上陸」だ。
仙台厚生病院も要注目だ。実現しなかったが、医学部新設に名乗りを挙げた。この病院の利益率は16.5%(12年度)。全国トップだ。数百億円の内部留保があり、関東の大学病院が経営難に陥れば、買収もあり得る。
一方、東京から東北へという「医師の逆流」も起こりつつある。それは、東北の病院経営者が人材投資に熱心だからだ。
例えば、南相馬市立総合病院の一年目の研修医の給与は、月額66万2500円だ。都内の私大医学部教授より高い。この病院は多くの優秀な若手医師が集まり、急成長している。
いわき市のときわ会は、加藤茂明・元東大分生研教授を招き、基礎研究のラボを立ち上げる予定だ。勤務する若手医師が論文を書き、実績を上げることができる。人件費も含め、その費用は数千万円に及ぶだろう。経営難に喘ぐ東京の大学病院ではあり得ない。さらにときわ会は上海の復旦大学やエジンバラ大学との草の根の交流も進んでいる。ときわ会が泌尿器・腎臓疾患に特化し、高収益だからこそできる「攻めの経営」だ。
マスコミは「福島は風評被害で悲惨。医師不足に喘いでいる」というステレオタイプの報道をすることが多い。ところが実態は必ずしもそうではない。あまり報じられないが、福島でも、一部の病院には全国から医師が集まってきている。
では、いつから東北の病院が元気になったのだろうか。きっかけは東日本大震災だ。この不幸な出来事を経験し、東京と東北がつながった。この結果、東北の医療は活気づいた。
問題は東京だ。現在の政策が続く限り、崩壊は時間の問題だ。どうやって生き残るか。地に足の着いた議論が必要である。
(文=上昌広/東京大学医科学研究所特任教授)