8月が終わった。8月といえば1945年に太平洋戦争が終結した月であり、毎年戦争責任が議論される。「靖国で会おう」と神風特別攻撃隊に若者を送り出した帝国海軍幹部や、「生きて虜囚の辱めを受けず」と強調した帝国陸軍幹部の戦後の振る舞いを知るに、当時の陸海軍幹部の無責任ぶりに呆れ果てる。原爆投下、空襲、沖縄占領により、日本は存亡の危機に立った。この敗戦を招いた責任は、彼らにある。古くより「魚は頭から腐る」というが、まさにその通りだ。無責任な指導者に率いられた戦中の国民は不幸だった。
ただ、このような状況は帝国陸海軍に限った話ではない。現在の日本でも同じようなことが繰り返されている。
医療界においても最近、同じようなことがあった。それは国立国際医療研究センター(以下、医療センター)で起こった医療事故だ。
昨年4月、整形外科の後期研修医であった30歳の女性医師が、脊髄造影検査で脊髄腔への投与が禁止されている「ウログラフイン」という尿路造影剤を投与し、患者が死亡した。今年7月14日、東京地裁の大野勝則裁判長は、禁固1年、執行猶予3年の判決を言い渡した。上告しなかったため、刑は確定した。明らかな医療過誤であり、女性医師は責任を免れない。
この判決の是非はすでにさまざまなメディアで議論されているので、ここでは問わない。
私が関心を抱いたのは、リーダーの振る舞いだ。医療事故がシステムエラーであることは世界の常識だ。リーダーはシステムに強い影響力をもつ。果たして、この事件でリーダーはどう振る舞っただろうか。
医療センターの院長は中村利孝氏だ。ところが、私の調べた範囲で、彼が責任を取った形跡はない。このことは、すでに医療界から厳しく批判されている。たとえば、南相馬市立総合病院の研修医である山本佳奈氏は8月23日付「現代ビジネス」記事として『薬品誤投与で患者死亡 なぜ研修医だけが責任を取らねばならなかったのか』という論考を発表している。また、医療センターに勤務する知人の医師は、「末端の研修医に責任を押しつけ、幹部は頬被りしています」と言う。評判はよくない。
太平洋戦争では、ポツダム宣言に戦犯の処分が盛り込まれた。自らの保身のため、軍幹部は「一億玉砕」と徹底抗戦を主張した。さらに、聖断により無条件降伏が決まった後には、証拠隠滅のために資料を焼却することを指示した。姑息きわまりないが、彼らの生命がかかっていたことを考えれば、理解できないわけではない。
しかしながら、医療センターの幹部は、自らの責任を認めても処刑されるわけではないし、おそらく引責辞任にもならない。責任逃れをすれば、自らの人望をなくすだけでなんの得もない。なのになぜ、このような対応を取ってしまうのだろうか。
私は、このことに興味をもち、医療センターの院長を務める中村氏のことを調べてみた。
骨粗鬆症学会の大物
中村氏は、1973年に東京大学医学部を卒業。産業医大教授などを経て、13年4月から医療センターに総長特任補佐として異動している。そして、同年10月から院長に就任した。
興味深いのは彼の専門だ。整形外科である。つまり、今回の医療事故はお膝元の診療科で起こったことになるし、彼は問題を起こした診療行為、およびその危険性について十分に理解していたはずだ。
では、中村氏は整形外科の中でもどんなことを専門にしてきたのだろうか。
医学文献のデータベース「PubMed」で実績を調べると、骨粗鬆症の臨床研究が多いことに気づく。骨粗鬆症は近年、新薬が開発され、急成長している分野だ。中村氏は日本骨粗鬆症学会の理事長も務めた「大物」だ。大規模な臨床研究を主導したこともある。
例えば、新薬のテリパラチドの臨床研究を主任研究者として推進した。578人の患者を登録した大型研究で、週に1回テリパラチドを皮下注射すると、プラセボ投与群と比較して脊椎圧迫骨折の危険性が80%も低下することを示した。多くの高齢者は寝たきりにはなりたくないと願っている。寝たきりのきっかけは骨折が多い。この研究成果は、このような高齢者にとって吉報である。中村氏は、その研究結果を12年に筆頭著者として米内分泌雑誌「JCEM」で発表した。
さらに、11年12月に改訂された「骨粗鬆症の予防と治療ガイドライン」では、作成委員会の副委員長を務め、医療業界誌で「ガイドラインでは新薬テリパラチドのエビデンスや、ビスホスホネート製剤の副作用などにも言及した。これを基準として、プライマリケア医の先生方も治療に取り組んでほしい」とコメントしている。
まさに、全力でテリパラチドの研究、そして啓蒙に尽力していた医師である。
旭化成ファーマから586万円の報酬
近年、スイスのノバルティス ファーマや武田薬品工業の研究不正や不適切な広告が発覚し、医師と製薬企業の関係が問われているが、中村氏と製薬企業の利益相反はどうなっているだろうか。
もちろん、論文の中では製薬企業から資金を得ていたことを言及していた。
私は、製薬企業からの金の流れを調べてみた。日本製薬工業協会に加盟している製薬企業は、「企業活動と医療機関等の関係の透明性ガイドライン」に基づき、13年度分より医師個人への支払いを公開している。この制度を利用した。
テリパラチドを販売するのは旭化成ファーマだ。公開されている13年度だけで、中村氏は586万円を講師謝金などのかたちで受け取っていた。教授・院長クラスの講演料や監修料の相場は1回で10~15万円なので、毎週なんらかのかたちで旭化成ファーマの仕事をしていたことになる。
11年11月、旭化成ファーマはテリパラチド(商品名テリボン)を発売している。14年度の売上高は323億円。同社の屋台骨を支える薬に成長している。このようなことを知ると、前出の論文の見え方も随分と変わってくる。
さらに調べると、中村氏は新薬承認の可否を審議する薬事・食品衛生審議会の部会の委員に就任する際に、製薬企業から金を受け取っていたことを報告しなかったようだ。6月、その事実が判明し、委員を辞任している。
ただ、この時、厚労省が問題視したのは、MSDおよび帝人ファーマとの利益相反で、旭化成ファーマとの関係は不問に付された。厚労省がなぜ旭化成ファーマを挙げなかったのか、私にはわからない。1社から年間586万円の金を受け取っている医師が、医薬品の承認の議論に相応しくないことはいうまでもない。ちなみに中村氏は、問題となったMSDからは231万円、帝人ファーマからは107万円を受け取っていた。
他社についても調べてみた。日本を代表する製薬企業である武田薬品からは60万円、第一三共からは211万円を受け取っていた。正直、この数字には驚いた。ナショナルセンターの院長としては予想外の金額だ。
製薬企業はあまたある。おそらく、これでも氷山の一角だろう。中村氏は、「製薬企業と親密な医師」といっても差し支えない。
問われる厚労省の責任
中村氏の名誉のために言うが、製薬企業から講演料や顧問料を受領するのは、きちんとしたルールに則っていれば違反ではない。ただ、ここまで製薬企業の副業に勤しんでいる医師が院長に相応しいだろうか。
医療センターは厚労省直轄の旧国立病院だ。その幹部人事には、厚労省の意向が反映される。中村氏の院長人事から、厚労省は製薬企業との利益相反を問題だと考えていなかったことがわかる。ちなみに、14年4月の段階では、すでに臨床研究不正はマスコミで話題になっていた。厚労省の鈍感ぶりに驚く。
医療センターでは約460人の医師が働き、68億円の運営費交付金(13年度)を受け取っている。これは埼玉大学や茨城大学が全学で受け取る運営費交付金よりも多い。
そして、この病院の売りは「臨床研修」と「医療事故研究」。現在、92名の初期研修医、52名の後期研修医が「修業中」だし、医療センター幹部は、医療事故の主任研究者として巨額の公的研究費を受け取ってきた。
また、今秋発足予定の医療事故調査制度の事務局を担う「一般社団法人日本医療安全調査機構」の理事長は、医療センター元総長の髙久史麿氏、常務理事は前院長の木村壯介氏が務めている。今回の事故対応には注目が集まっている。
院長は名誉職
繰り返すが、医療事故はシステムエラーだ。システムが機能するか否かはリーダー次第だ。日本国民は低俗なリーダーが引き起こした戦争で塗炭の苦しみを味わった。病院の医療レベルは、結局のところリーダー、つまり院長のレベル次第だ。優秀な人が全力でやってほしいと思うし、当然ながら片手間でできる仕事ではない。
院長業務の傍ら、かなりの時間を「アルバイト」に費やしていた中村氏は、院長としてどのようにスタッフをリードしてきたのだろうか。なぜ、こんなことが許されるのだろうか。私は、いまこそ中村院長に説明してほしいと思う。
こんな院長で通用するのは、医療センターが国の組織だからではないか。実務は、厚労省から来た事務方やノンキャリスタッフがやってくれる。病院が赤字を出しても、自らが弁済するわけでなく、補助金で埋め合わせてくれる。これでは本業そっちのけでアルバイトに精を出す院長が生まれても不思議ではない。知人の厚労官僚は「ナショナルセンターでは、院長は名誉職」と言い切る。トップが、こんなことで組織が締まるはずがない。医療事故が起こるのも不思議ではない。
今回の医療事故について院長である中村氏の責任は大きい。同時に、システムの被害者でもあると思う。彼は、「普通のナショナルセンターの院長」で、運悪く医療事故に遭っただけと思っているだろう。これは国民には不幸だ。トップが無責任だと、組織が緩むのは避けられない。医療事故は繰り返すだろう。
今こそ、膿を吐き出して、構造的な問題を公で議論すべきだ。
(文=上昌広/東京大学医科学研究所特任教授)