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ファナックは、もともと富士通の子会社だった。富士通の機械技術者(東京大学第二工学部卒)の稲葉清右衛門氏が経営を引き受け、工作機械に不可欠なNC装置の世界トップメーカーに育てた。そして、その勢いを駆って富士通から完全に独立し、社名の富士通ファナックから富士通を外した。
だから、清右衛門氏は事実上の創業者だが、もともとは富士通のサラリーマンである。ちなみに富士通からファナックを分離独立させた当時の富士通の社長は高羅芳光氏だ。
今、ファナックは清右衛門氏の孫が経営陣に加わり、同族色を一段と強めている。
新たに取締役になった人物は有価証券報告書では末席に記載されるのが普通だが、清典氏は、
・代表取締役社長 稲葉善治
・取締役製造本部長(取締役副社長) 山口賢治
・取締役ロボット研究所所長 稲葉清典
と位置付けられている。No.4が取締役庶務部担当の権田与志広氏(専務)で、清典氏は権田氏よりランクが上なのだから、上席の専務か副社長格の扱いということになるのだろう。
ファナックでは再び世襲が問題になる。長男の善治氏を社長に引き上げた時には、社長の小山成昭氏を会長に、会長の野澤量一郎氏を相談役に退かせた。野澤氏は清右衛門氏の後任社長として1995年から99年まで社長を務め、小山氏は99年から03年まで社長の椅子にあった。2人とも清右衛門氏の東大の後輩である。
「販売競争は激しい。一時ストップしていたロシアでの販売を再開させる。国内外の営業に強い善治を社長に起用することにした」。社内外に清右衛門氏はこう説明したが、誰が見ても世襲人事そのものだった。
現在の社長の善治氏は、1948年7月生まれ。父の赴任先である茨城県で生まれた。東京工業大学工学部機械工学科卒。いすゞ自動車にエンジニアとして10年間勤めた後、83年にファナックに入社。商品開発主任研究員になった後、89年に取締役に昇格。常務、専務、副社長と、トントン拍子に出世を重ね、父の後押しで社長に上り詰めた。善治氏は主任研究員、清典氏はロボット研究所だから、清右衛門氏の長男も孫もスタートは似たようなものだ。
とはいっても、善治社長と比較しても清典取締役の処遇は特別扱いだ。取締役になった途端に副社長級の扱いだ。これは清右衛門氏の老いと無関係ではあるまい。
しかし、ここまで露骨な世襲人事。社内に“1億円プレーヤー”が13人もいるほど待遇がよいからといって、社員はこの人事を黙っているのだろうか。
●世襲人事が生んだおごり
清右衛門氏は95年に社長を退いた。会長、名誉会長と肩書は変わっても、ファナックの絶対君主であり続けた。03年に当時、副社長だった善治氏が社長に昇格した。善治氏の社長昇格に伴い、清右衛門氏の東大の後輩だった2人の社長経験者が退いた。当時は「息子かわいさ。ファナック“創業者”の豪腕人事」と週刊誌で叩かれた。それまで会長として会社を支えてきた野澤量一郎会長(当時)は、ただの相談役に更迭されたことに抗議して出社しなくなったといわれている。
先端技術を誇る世界のリーディングカンパニーの世襲。どこかそぐわないものがある。
本社工場の外壁も黄色。社長以下、全社員のジャンパーも黄色。製品の産業用ロボットも黄色、社有バスやトラック、営業車両も黄色。テーブルクロス、食堂の箸袋まで黄色。ウェブサイトにも黄色をあしらっている。
清右衛門氏が富士通のサラリーマン時代、事業部ごとに報告書を区別しやすいように、同氏の事業部には黄色が割り当てられた。それ以来、ファナックのシンボルカラーは黄色になった。
有価証券報告書の事業リスクの項目に「富士山噴火」を挙げている。自然災害以外に事業リスクがないというのはおごりであり、それが世襲人事の強行につながったとの見方もある。ファナックは現在、アナリストへの決算説明会を行っていない。善治社長になってから行わなくなった。日本を代表するハイテク企業の唯我独尊に、懸念が強まっている。
(文=編集部)