その2名はいずれも社外監査役で、ひとりは元石川県副知事で元労働省(現厚労省)局長の太田芳枝氏。もう一人は元経済産業事務次官の望月晴文氏。太田氏は再任で、望月氏は新任だ。そして、この2人は「原発マネー」を語る際に、しばしばその名が浮上する人物だった。
住民の反対を抑えた太田芳枝・元石川県副知事
まず太田氏は、1966年に労働省に入省。91年には石川県副知事となる。この際、原発の設置について大きな役割を演じる。当時、北陸電力は志賀(しか)原発2号機建設計画を進めていた。ところが、同原発についてはその耐震設計の安全性や立地における活断層との関係などから地元住民による反対の声が強かった。
当時副知事だった太田氏は県議会で、「今後、原子力発電の重要性はますます高まってくる」などと発言した。この発言が、関係者にどの程度の影響を及ぼしたか詳細は不明だ。しかし、現職の副知事による原発推進発言が、なんの影響もなかったとは考えにくい。
ともかく、91年以降、北陸電力志賀原発の建設がスムーズに進められていったことは事実である。そして、この志賀原発プラントの建設を請け負ったのは、日立製作所であった。
その後、07年6月、太田氏は日立製作所の社外取締役に就任する。ちなみに、太田氏が推進した志賀原発2号機は、安全性に問題ありとして06年3月に金沢地裁で運転差し止めの判決を下されている。
元原子力安全・保安院次長の望月晴文氏
一方、望月晴文氏は日本の原子力行政において重要なポジションを務めてきた人物だ。73年に通産省(現経産省)に入省。その後、いくつものポストを経て、03年に中小企業庁長官、06年には資源エネルギー庁長官、そして08年には経済産業省のトップである事務次官に就く。
とくに注目すべきは、省庁再編以後の原発行政だ。以前は、原子力関連施設の監督権限については、通産省と科学技術庁にそれぞれ分散していた。これをひとつにまとめるものとして、原子力安全・保安院が創設されることとなった。そして、00年に同院の設立準備担当になったのが望月氏だった。保安院設立後の01年にはその次長に就任する。
つまり、太田氏、望月氏という、日本の原発産業各社にしてみれば、足を向けて寝られない2人が、原発産業大手である日立製作所の社外取締役へと就任した。
いうまでもなく、経産省は旧通産省時代から一貫して原発推進を担ってきた。そうした推進機関の中に監督機関があるわけだから、原発に対する監督機能がどれほど効果的であったかは疑問だ。むしろ国内の原発産業が、ある種の「恩恵」を受ける可能性が生じたことは想像に難くない。