2010年4月30日、東京・銀座のシンボルの時計塔で有名な高級宝飾品店「和光」本店5階会議室。クーデター劇の幕は切って落とされた。
この日、セイコーグループの持ち株会社であるセイコーホールディングス(HD)の定例役員会が開かれた。出席したのは村野晃一会長兼社長、服部真二副社長、中村吉伸専務、山村勝美取締役、鵜浦典子取締役、元検事総長の原田明夫社外取締役の取締役6人と元第一勧業銀行頭取の近藤克彦社外監査役ら監査役である。
時刻は午後2時30分。冒頭、議長である村野会長兼社長が開会を宣言するや、突如、社外取締役の原田明夫氏が口火を切った。
「緊急動議! コーポレートカバナンス(企業統治)上、不適切な部分があるため、村野社長を解任し、服部副社長を後任の議長にすることを求めます」
直ちに服部副社長が議長となり、議決権がない村野社長を除く5人の挙手による採決が行われた。賛成は服部副社長、財務担当の中村専務、それに原田社外取締役の3名。鵜浦取締役とグループ長老の山村取締役は反対に回ったが、3対2で解任動議が可決された。
続けて原田社外取締役が服部副社長を社長に推薦する動議を出し、これも村野氏と鵜浦取締役が反対しただけで可決。さらに、鵜浦取締役の解職動議も可決して、鵜浦氏は非常勤の取締役に降格された。時間にしてわずか3分の出来事だった。
その後、同じ会議室で和光の臨時株主総会が開催された。和光の服部禮次郎会長兼社長と鵜浦専務の解任を決議した。こちらも、ものの1分とかからなかった。和光はセイコーHDの100%子会社のため、株主はセイコーHD1社のみ。親会社の新社長になった服部真二氏が解任を宣言して、株主総会での議決は成立した。
電光石火のクーデター劇であった。クーデターの最大の狙いは、会社を私物化していた(と指摘された)グループ総帥の禮次郎名誉会長と、その側近で“女帝”と呼ばれた鵜浦氏を排除することにあった。
禮次郎氏は01年にセイコーの取締役を退任した後も、名誉会長の肩書でグループ総帥として影響力を保ってきた。新社長となった真二氏は禮次郎氏の甥で、実子のいない禮次郎氏の養子になっていた。禮次郎派の一員と見られていたが、土壇場でクーデター派に加担した。
和光の本館5階は、ワンフロアすべてが禮次郎氏の専用になっていた。禮次郎氏は、この日は会議室の隣にある執務室で役員らと談笑していて、終始、上機嫌だったという。
まさか追い落とされるとは、思いもよらなかったのだろう。
クーデター派を後押ししたのは労働組合である。労組が問題にしたのは鵜浦氏のパワハラ(パワーハラスメント)事件である。和光の会長兼社長の禮次郎氏の秘書だった鵜浦氏は、07年に持ち株会社セイコーHD取締役に就任した。破格の大出世である。