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豊田章男社長との“対立”に幕が下りる?

トヨタ創業家の独裁体制 渡辺相談役が首都高速の会長に

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まさに帝国の逆襲。(「TOYOTA」HPより)
 トヨタ自動車の渡辺捷(かつ)昭(あき)相談役(70)が首都高速道路会社の非常勤会長に就任する。9月13日に正式決定する見通しだ。

 渡辺氏は2013年5月、日本経団連副会長の任期が終わる。首都高速の会長就任は、トヨタの相談役を辞める布石なのだろうか。これで豊田章男社長(56)は、奥田碩氏(79)、渡辺氏という、目の上のたんこぶである元社長(奥田氏は元会長でもある)を切るわけだ。名実ともに独裁体制を確立する。

 11年2月、トヨタ社内を凍りつかせるトップ人事があった。豊田社長が前社長の渡辺副会長の首を切ったのだ。トヨタの歴代社長は、会長に昇格するのが慣例だ。張富士夫会長(75)が相談役に退き、渡辺副会長が会長に昇格するのであればまだしも、渡辺氏の先輩である張会長は社長として続投。渡辺副会長だけがお役御免とばかりに相談役に飛ばされた。役員の数を減らしてスリム化と若返りをはかると説明されたが、これはあくまでも表向きの話。はじめに渡辺外しありきのトップ人事だった。

 渡辺捷昭氏がトヨタの社長に就任したのは05年8月のことだ。社長時代は、かっかくたる実績をあげた。08年3月期の連結営業利益は、2兆2703億円と過去最高益を更新。世界市場での新車販売台数は897万台となり、永らく王者として君臨してきた米ゼネラル・モーターズ(GM)を抜き、世界一に躍り出た。渡辺氏は米タイム誌の「最も影響力のある100人」として05年と07年に選出されている。トヨタの輝かしい歴史を築いたトップリーダーであった。

 だが、08年秋のリーマン・ショックで評価は暗転する。金融危機で車の販売台数が激減。トヨタの09年同期の最終損益は58年ぶりとなる4369億円の赤字に転落した。絶叫マシーンさながらの業績の急降下に、“トヨタ・ショック”という言葉が生まれた。

 経営責任を問われ、渡辺氏は09年6月に創業家の御曹司、豊田章男氏に社長の椅子を譲って副会長に退いた。身の丈を超えた拡大路線を突き進み、09年に1000万台超の販売目標を掲げブレーキを踏むのが遅れたというのがその理由だ。後出しジャンケンの負けに近いかたちで経営責任を問われ、渡辺氏はA級戦犯となった。

 渡辺外しに、ことのほか熱心だったのは章男氏の父親である豊田章一郎名誉会長(87)だった。09年2月章一郎名誉会長は、豊田家の出身母体である豊田自動織機の創業の地に、グループの幹部400人を集めた席で、渡辺社長(当時)に「君はこれまで何度過ちを犯したか」と尋ね、あろうことか、「増収増益に熱中するあまり、会社をGMやクライスラーの真似に走らせた」と非難したのである。あまりの剣幕に居並ぶ経営幹部は顔を引きつらせ、会場の空気は凍りついた、といわれている。

『首都高バトル』


社内人事もデッドヒート。

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