トヨタ初の”従順でない”協業相手・富士重工
「サプライズである名誉会長出席は、最後の最後に決まった」(富士重工幹部)そうだ。トヨタはこれまで、資本参加したダイハツ工業や日野自動車を、30年の長い時間をかけてトヨタの言うことを聞く”従順な会社”にしてきた。子会社化しているその2社と、トヨタとの事業の結びつきは強い。名誉会長の臨席がダイハツや日野の工場だったなら、大変な緊張感を漂わせたはずだ。
しかし式典に参列していた富士重工幹部たちは、トヨタの大御所と臨席してもまったく緊張の色を見せていなかった。それは、トヨタの富士重工への出資比率が16.5%だからという理由だけではない。トヨタは富士重工を、国内生産を維持するための”ものづくり”のパートナーとして位置づけているためだ。それは今回、傘下企業に対するスタンスをトヨタが明らかに変えたことを伝えてもいる。
背景には、国内でのものづくりを継続していかなければならないという、トップメーカーとしての事情がある。トヨタの海外比率は10年実績で57%と、日産(72%)やホンダ(73%)に比べて低く、もともと国内生産比率が高いゆえ、国内雇用への影響力も大きい。トヨタの試算では、同社が国内生産を100万台減らすとグループで12万人の雇用が減るため、急激な雇用削減は世論の批判を引き起こしかねない。超円高や電気料金値上げがあっても、雇用の安定を求められているのだ。豊田章男社長も「(国内の生産縮小を)トヨタがやったら、この国はどうなってしまうんだという危機感がある」と話すが、それだけに、魅力ある商品をトヨタは国内で生み続けなければならない宿命にもある。
共同開発のスポーツカーは、富士重工製の水平対向エンジンを搭載。基本は富士重工の技術で開発され、生産も富士重工が担当する。群馬製作所本工場は軽自動車を量産していたのを切り替えた。発売日は、スバルBRZが3月28日、トヨタ86が4月6日だが、前受注は好調。量産が始まった3月中旬の時点で、トヨタ86は約1カ月間で月間販売目標の7倍に相当する7000台を受注、BRZも月間販売目標の5倍を超える約2500台を受注したとみられている。「両モデル合わせて年間10万台の生産を目指す」(吉永泰之富士重工社長)計画だ。
今年は、戦後生まれの団塊世代が65歳を迎える最初の年。完全引退するサラリーマンが一気に増えるが、団塊世代の多くは十分な年金を受給できるため経済的には恵まれている。車名の「86」は、トヨタが1983年に発売したFR(前方エンジン)スポーツカーの車両型式番号「AE86」にちなんでいる。団塊世代にはAE86ファンが多いためだ。
異質同士のぶつかり合いは、日本製造業に活路をもたらすのか?
富士重工の前身は、終戦まで戦闘機「隼」などを生産していた旧中島飛行機。航空機技術をベースにした水平対向エンジンや4WD、無段階変速機(CVT)を実用化したことから、技術力の高い会社と言われ続けてきた。68年には旧日本興業銀行がメインバンクだった日産と資本提携し、日産の傘下になる。00年には経営危機を迎えた日産との提携を解消して、GMの傘下に入った。
05年、経営が悪化したGMは、保有していた富士重工の発行済み株式20%をすべて放出。うち8.7%をトヨタが取得し筆頭株主となった(その後、出資比率を上げる)。当初は、トヨタによるGM救済という政治的な側面はあったが、富士重工米国工場でのトヨタ車委託生産など、協業はすでにここから始まっていた。
「良い車をつくるうえで、富士重工はかけがえのないパートナーだ」「富士重工は単にトヨタの言うことを聞くだけの会社ではない。両社の開発現場は互いにぶつかり合いながら、新型車をつくった」――トヨタの章男社長は、こう賛辞を惜しまない。
富士重工は技術力も高いが、技術部門のプライドも高い。言いなりにならない富士重工を、あえてパートナーにする選択を決めたトヨタ。それがトヨタの新しい戦略とはいえ、国内の異質メーカー同士がぶつかり合う手法でつくった新車が、国内外で評価を得るのかどうか。この成否が、これからの日本のものづくりを左右することはまちがいないだろう。
(文=永井隆/経済ジャーナリスト)