稔は、小泉純一郎政権の規制緩和政策を最大限に享受した経済人である。1990年代後半、都市再生の処方箋を掲げ、オピニオンリーダーとして登場した彼は小泉内閣の総合規制改革会議のメンバーに名を連ね、アーバンニューディール政策を提唱した。アーバンニューディール政策とは、一言で言えば、不良債権化した土地を政治主導で計画的に再開発して、景気浮揚を図るというものだ。これを受け、小泉政権下の2002年6月に施行された都市再生特別措置法は、アーバンニューディール政策を盛り込んだ内容になっている。
小泉純一郎と稔の関係は深い。稔が政界への影響力を見せつけたのは、六本木ヒルズがオープンする1年前の02年4月8日に開かれた、上棟記念パーティーだった。小泉首相をはじめ、平沼赳夫経済産業相、竹中平蔵経済財政担当相、石原伸晃行政改革担当相などの閣僚のほか、森喜朗前首相など大物政治家が多数、顔を揃えた(肩書はいずれも当時)。
首相の小泉は「規模、面積、事業費、どれをとっても過去最大の都市再生事業である。都市再生のお手本をつくってくれた」と六本木ヒルズを手放しで絶賛した。民間の活力を最大限に活用する都市再生と構造改革が、小泉政治の両輪を成していた。その都市再生のモデルケースが、六本木ヒルズだったのだ。
都市再生特別措置法の狙いは土地の高度利用である。特別地区に指定されると、既存の土地利用規制が解除される。つまり、容積や高さ制限があって従来はできなかった、まちづくり計画が可能になるのだ。汐留、品川、六本木、日本橋には超高層ビルが林立し、”東京バブル”の様相を呈した。規制緩和が超高層ビルの建設ラッシュをもたらしたわけだ。これは、大規模な都市開発を、国を巻き込んで推し進めようとする稔のもくろみとピッタリ合致した。
千代田区丸の内は、日本を代表する企業が本社を構える超一等地だ。丸の内にあるビル、およそ100棟のうち、3分の1が三菱地所の所有。同社は規制緩和により、高度成長期に建てたビル30棟を、最新鋭の情報インフラを持つインテリジェントビルに建て替える。”三菱村”は、世界のトップ企業が集まる国際ビジネスセンターに生まれ変わるのだ。
これに対抗して、高さ238メートルの超高層ビル、六本木ヒルズが聳え立つ六本木地区を、丸の内と双璧を成すビジネス街に作り替えようとしていたのが稔である。規制緩和を追い風に、巨大なビジネス向けビルを次々と開発してきた。稔は六本木を東京の新しいモデル地区にする壮大なビジョンを描いていた。小泉政権下での不動産の規制緩和の仕掛け人で、最大の享受者。それが稔と、稔が率いる森ビルだった。
稔が政商に転進する転換点は97年。汐留貨物駅跡地払い下げの競争入札に敗れた時だ。
汐留は”港区の大家さん”を自任する森ビルのお膝元だ。ホームグラウンドで敗れたのである。その悔しさは並大抵のものではなかった。この入札の失敗が政商に突き進むきっかけとなった。98年に開業した高級会員制クラブ、アークヒルズクラブを舞台に、政財界に人脈を広げていった。
「稔さんが政界の中枢に入り込めたのは、竹下登・元首相に可愛がられたことが大きい。人たらしというか、初対面の人にも好感を持たれるところがあり、竹下さんはえらく気に入った。98年2月に旗揚げした竹下元首相を囲む会のメンバーに彼が入ったのは、竹下さんの推薦があったからだ」(政界関係者)
竹下と稔の親密な関係を語るエピソードは多い。極め付きは98年7月、中国・上海の森ビルが手掛けたHSBCタワー竣工式に竹下元首相が主賓として駆けつけたことだ。参院選挙真っ最中だっただけに、この「特別のはからい」に不動産業界の首脳たちは目を見張った。
稔が政界の表舞台にデビューするのは、小渕恵三内閣の経済戦略会議のメンバーに選ばれた98年10月といわれている。日本経済再生の目玉といわれた重要な会議だ。この時も「竹下元首相の強い推薦があったから」(前出の政界関係者)といわれた。政界人脈は森喜朗から小泉純一郎へと引き継がれ、小泉政権で、稔は持論とする大規模都市開発をきちんと仕上げ、ビジネスとして結実させた。稔が平成の政商といわれるゆえんだ。
政界に太いパイプをモツ稔が亡きあと、森ビルはどこへ向かうのか? 「政商は一代限り」という言葉もある。森ビルは11年6月の株主総会で辻慎吾(51)が社長に就任した。長年、社長の椅子の最短距離にいるといわれてきた稔の娘婿で、日本興業銀行出身の森浩生専務(50)ではなく、生え抜きで非同族の辻が後継者となったことで、一見、脱創業家の体制になったかに見える。
だが、森ビルは森家そのもの。株式は一族の資産管理会社である森喜代㈱、㈱森シティコーポレーション、森磯㈱の3社で94.44%を保有する。森稔は4.11%で第4位の株主だ(11年3月期時点)。同期の連結売上高に当たる営業収益は2091億円。これに対して有利子負債は7345億円に上る。
「森ビルの信用力、イコール稔氏個人の経営者としての信用だ」(大手不動産会社の社長)との声もあり、稔が亡くなり、金融機関の融資姿勢がどう変わるかに注目しておきたい。当面森ビルは、膨れ上がった有利子負債をどう処理するか、という財務問題に直面する。(敬称略)
(文=編集部)